100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


残されたハリウッド・スター (コラム)

 

 やっぱ映画に出てる役者ってみんなかっこいいし、綺麗だなあ。中年のヒロインも映画の中じゃ美人になっちゃうし、なんで映画に出てくるヒロインはみんな驚くほど美人なんだ? サスペンス映画でいつも危ない目にまきこまれるのは決まってジュリア・ロバーツみたいな美女だけど、こんないかした姉ちゃんなんて東京の町歩いててもそうは見られないぜ。それなのにどうしていつも美女だけが危険な目にあってしまうんだろうね。冴えない野郎どもは途中で殺されたりするんだけど、美女だけが間一髪で助かる。これって不平等な気もしてくるよね。でも、最近の映画事情で、こういう風に美男美女が出てくることは、実はいい傾向なんだよね。

 ここで少し映画史について学んで欲しい。テレビが無かった時代は、まさにスターの時代。グレタ・ガルボ、ゲーリー・クーパー・・・。星の数ほどのスターが誕生した。当時は各スタジオに専属のスターがつき、スターたちはスタジオに大切がられた。スターを綺麗に写すために照明には細かく気を配り、とにかくスターが映画を作っていた。そして観客はスターで映画を選び、銀幕のスターに会うために映画館へと足を運んだ。映画産業はスターたちに支えられたのだ。

 ところで、ここ数十年、「スター」といえるほどのハリウッド・スターらしい役者がいなくなった気がする。恐らく今の段階でスターと言える女優はジュリア・ロバーツくらいだろう。彼女だけは往年のハリウッド・スターの面影を残している。最近はオスカーを取ったので、僕は非常に嬉しいが、オスカーを手にしてますますハリウッド・スターらしくなってきた。
 授賞式には沢山の役者たちが出席していたが、みんなハリウッド・スターぽくない。ジュリエット・ビノシュもアンジェリーナ・ジョリーも魅力的だが、ハリウッド・スターのそれとはまったく性質が違う。男優ではトム・ハンクスがスペンサー・トレイシーみたいでなかなかよくなってきたが、微妙にスターぽさが足りない。これは映画業界のスタンスそのものが50年前のスター時代とはガラリと変わってしまったからである。

 スター時代の頃は映画はリアリティとは無縁だった。西部劇の保安官は怖じけることなく悪を成敗し、恋愛映画の主人公は甘い愛に生きた。我々観客の実生活とはかけ離れたドラマチックなストーリーが当時の売り物だった。だからこそ無名の役者が主演に抜擢されたところで映画がヒットする確率は低かった。とにかくスター名利につきる。
 ところが、ニュー・シネマが台頭してから、映画界がガラリと変わる。醜い悪役が大活躍したり、美女たちが醜いことをやったり・・・。しだいにリアリティも出てきて、美男美女でなくても主役をはれる時代になってきた。同じ美男美女でも、昔のスターと今のスターが違うのは、この汚れ具合・さらけ出し・リアリティ加減だ。

 色んなメディアがある現代社会、スキャンダルも深刻になってきた。かつてスターたちは裏でヤクに手を出していても、スキャンダルざたに取り上げられることはなかった。しかし現在は違う。すぐにネタの標的にされてしまうのだから。僕は個人的にああいうスキャンダル記事を読むのは好きではない。僕は映画の世界の登場人物が好きだから、それを演じた役者の私生活には大して興味がないので、そういう記事を見て騒ぐ人たちにはどうしても共感できない。こういう記事が出回っていることも、スターの地位が昔に比べて落ちている要因のひとつかもしれない。

 最近の映画事情では、役者で映画を選ぶという考えがそもそも廃れてきている。惜しい気もするが、描き方重視になって映画芸術の今後の進展ぶりが楽しみでもある。
 話を戻すが、最近僕が映画を見ていて、主演女優がスターみたいに美人だな、と思ったことは、いい傾向だと思える。ジュリア・ロバーツみたいにハリウッドらしいスターがこれからも増えてくれたら、これほど嬉しいことはないだろう。


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