100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


テレビゲーム業界も映画並にスゴイ (コラム)

 

 すまない。今、僕は「サクラ大戦」にハマりまくっている。更新がおざなりになったのは全てはこいつのせい。でも僕は「サクラ大戦」のお陰で、映画に対する見方がずいぶんと変わった。

 「サクラ大戦」なんて今まで全く興味がなかったけど、この間でた「サクラ大戦3」の綺麗なデモ映像を見て衝動買いしてしまった。それからはもう毎日プレイしている。映画を見て泣いたことは何度かあるが、ゲームで泣いたのは今回が初めてかもしれない。
 最近は「FF」シリーズとか、凄い映像のゲームが多いが、かつて8ビット・マシンに熱を出していたゲーマーの僕としては、ゲーム業界のこの急激な発展ぶりに、ただただ驚くばかり。今では10年前のゲームがヘボヘボに見えてしまう。ここで僕が切に思うのは、今のゲームが、マシンの性能がよくなったから面白くなったのではなくて、企画力・監督力・デザイン力が向上したから面白くなったのではないかということである。

 僕は映画の歴史をリアルタイムで体感してきた人間ではないが、テレビゲームの歴史は黎明期からずっとリアルタイムで追い続けている。ふと僕は、昔の映画が今もビデオ化されていることに対し、昔のゲームが再発売されることはないと気付いた。つまり昔のゲームが今では遅れて見えてしまうわけだ。映画のレベルは昔も今もあまり変わりがないが、ゲームのレベルは昔と今とでは差がありすぎる。

 「サクラ大戦3」の影響で、後から「サクラ大戦1」も買ったが、比べてみると、同シリーズでもわずか5年間にかなりの成長が見られる。サターンとドリキャスの性能の違いもあるかもしれないが、この出来の良さは、スタッフのスキルがアップしたためだと考えたい。
 例えば、「1」の背景画は担当者が一人で描いたように見えるが、「3」の背景画はグループでディスカッションしてようやく考え出した画という印象を受ける。アングルが洗練され、奥行きを感じさせるからだ。CG映像は格段によくなっており、セル画とうまい具合に融合して少しも違和感がない。エッフェル塔を猛スピードで駆け上がるキャメラワークの何たる迫力。実写では撮れない映像を可能にしている。
 面白いと思ったのは、画1枚だけでダイナミックな映像に見せていること(合体攻撃の場面)。画自体は止まっているのだが(ただし口と目だけは動く)、画の位置を移動させたり、画を伸縮させたりすることで、あたかもアニメーションしているように見せているのである。データ容量と製作費を抑える上でも上手いテクニックである。とても勉強になった。
 エンディングの歌にも、じーんときた。歌っている人たちは歌手としては素人の声優さんたち。だのになぜだか胸が温かくなる。ゲームの中の歌なのに、プロが出している曲にも負けないレベルだ。これは制作スタッフたちのクリエーターとしての情熱が昔よりも強くなったことを証明している。
 今のテレビゲームは、ストーリーにしろ、ゲームシステムにしろ、とても一人だけの創造力で考え出したものだとは思えない。グループ力というものを感じさせる。一本のゲームを、スタッフ全員が一丸となって精魂を込めて作り上げている。マシンのスペックなどは問題外。大切なのは良いゲームを作ろうという意気込みである。これは映画製作でも同じだと思う。ひとつの作品を完成させることがどんなに素晴らしいことか、少しだけわかったような気がした。

 それにしても、マルチメディア時代の今、映画業界だけが映画ではない。音楽業界だけが音楽ではない。ゲームの中にも映画はあり、音楽はある。たかがゲームにだって映画並の感動があるんだ。他の業界にもきっと沢山の感動があるはずだ。映画業界だけに視野を向けて映画を楽しむなんて、何だかもったいない気がしてこないか?


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