100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


サイレント映画は映画とは別物? (コラム)

 

 小説は映画とは違う。演劇も映画とは違う。ラジオドラマもテレビ映画もミュージッククリップも映画とは違う。ここまで話すと、昔の映画も「映画」じゃなかったといいたくなってくる。

 今では「サイレント映画」はほぼ完全に作られなくなった。つまり絶滅したわけだが、それはあまりにも惜しいことである。「サイレント映画」と「トーキー映画」が全く別々の芸術に枝別れして両方とも違う道を歩んで欲しかった気もする。しかし歴史は「サイレント映画」が突然息絶えて、そこから「トーキー映画」に丸一色生まれ変わる形を辿った。

 なぜ「サイレント映画」は絶滅したのか。これは捨てられた芸術である。科学が進歩し、映像に音声が加わり、大衆たちは喋る映像に度肝を抜かれた。それから映画会社は、もう喋らない映画は受けないと考え、作るのをやめてしまった。芸術性と商業性で、映画会社は商業性を選び、あろうことか芸術性のバリエーションのひとつを完全に葬ってしまった。これは映画史上最大の事件であった。なぜ「サイレント映画」をわざわざ捨ててしまったのか。僕にはこのことがとても信じられない。果たして「サイレント映画」は排他的だったのか。

 今思えば、映画に限らず、他の芸術でもこのような自然淘汰は珍しくないような気がする。建築芸術では常に古いやり方は排除されていくのだし、音楽芸術でもロックン・ロールやハード・ロックを演るバンドが現在ほとんどいなくなったというのは事実だ。時代の流れ、科学の進歩と共に、芸術も進化し、退化している。

 しかしながら「サイレント映画」は素晴らしかった。僕は「サイレント映画」と現在の「トーキー映画(わざわざトーキーと言うのは間抜けかもしれないな)」は、まるで違う芸術のような気がする。
 「サイレント映画」は完全に視覚だけの芸術で、表現すべきことは全て映像で見せなければならなかった。だから登場人物の感情も映像だけで見せていた。
 「トーキー映画」は視覚と聴覚に訴えるものである。場面を音楽で盛り上げることもでき、映像で表現できないことを音で表現したり、映像と音がお互いに依存しあう芸術だ。「映画は映像と音の芸術」という者もいるくらいだから、こうなってくると「サイレント映画」は「映画」ではないのか?という疑問にぶち当たってしまう。
 ・・・これはもう両者はまるで別物の芸術と思った方がいいのかもしれない。「サイレント映画」も「トーキー映画」も映画史では一緒にまとめられてしまうが、この原因は、「サイレント映画」が死んだ時期と「トーキー映画」が生まれた時期がかぶったからではないだろうか。映画会社はこぞって「サイレント映画」産業を停止して「トーキー映画」産業に乗り換え、映画監督たちも皆「サイレント映画」の監督を廃業して、「トーキー映画」の監督という未知の職業に転職してしまった。味の素がAGFでコーヒーを作ったり、日本楽器製造がヤマハに社名変更して産業を拡大させたように、「サイレント映画」の会社は「トーキー映画」という別物商品を扱った。「トーキー映画」とは、「サイレント映画」畑で生活していた、何も知らない失業者たちが仕込んだ別物商品だったのだ。この別物商品が「映画」と言われているものだ。「サイレント映画」と「映画」は、それぞれ同じ人たちに作られた。だから、この二つが同じ芸術だと当時から錯覚されてしまったのである。

 映画作家の中には、演劇的な演出を施すものがいるように、「サイレント映画」的な演出をするものがいる。演劇をお手本にして映画を作ることができるように、「サイレント映画」を映画の教科書として参考にすることができる。「サイレント映画」を研究することは、視覚的演出を知る上ではとても勉強になることである。ただ、いくら演劇的な演出をしても、映画が映画のままであるように、いくら「サイレント映画」の真似事をしても、それは「トーキー映画」でしかないことを忘れてはならない。

 今回の<身勝手コラム>はいつも以上に身勝手になってしまった。まあ「こういう考えもあるのだな」という感じで読み流してもらいたい。


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