映画業界の実態に打ちひしがれて (コラム)
「最前線 映像ビジネス 知りたいことがスグわかる!!」(梅田勝司・著 こう書房・発行)を読んだ。この本は、映画だけでなく、インターネットやテレビゲームなど、映像にまつわること全てに視野を広げ、あくまでビジネスサイドから映画を見つめた一冊である。僕が今までに読んだ本とは一味も二味も違っていて、まさに衝撃だった。
僕はこれを読んでみて、映画産業というものの実体が、映画芸術とは随分とかけ離れたものだと痛感した。映画評論家や観客たちが話題にしてきたことといえば、おおかた芸術面についてである。シナリオがどうだったとか、撮影がどうだったとか、演技がどうだったとか、そういうことにしか興味はわくまい。だからこそ、映画批評で攻撃されるのは常に監督であり、俳優だった。プロデュースやマーケティングがどうのこうのと批判する評論家は余り見たことがない。一番偉いはずのプロデューサーは誌面上では余りにも影が薄い。
この本を読んで、僕は今まで気付かなかった映画の内部事情の一部を知ってしまったのだ・・・。これは幸運でもあったが、映画産業の巨大さを知ると同時に、自分のちっぽけさを思い知らされた気分であった。
アカデミー賞の最優秀賞をもらえるのはプロデューサーだけだが、それもわかる気がする。作品の企画から製作・演出・宣伝・上映の何もかもをこなさなければならないプロデューサーの苦労に比べれば、作品の芸術面だけを考えていればいい監督の労力など可愛いものである。ハリウッドでは監督なんてプロデューサーの道具みたいなもの。何しろ監督は著作権を持つこともできないのである。
普段何気なく見ていたスタッフロール。よく考えたら一本の映画にあれだけ大勢の人が関わっているわけである。スタッフは皆生活していけるだけの給料をもらっているのだし、撮影が一日延びれば、それだけ人件費が必要になってくる。一本の映画でどれだけ金が動いているのか、考えただけでも気が遠くなってこないか? あれだけ大勢のスタッフたちの上に立つプロデューサーは、まさに大君そのものだ。
レンタルビデオ店におけるアダルトビデオの価値もよくわかった。話題の映画のビデオとこういう怪しいビデオが、どうして同じ屋根の下に置かれているのか、僕は昔から不思議で仕方がなかったが、ビデオ店で一番回転しているのは実はアダルトビデオである。アダルトビデオのサービスがあるからこそビデオ店はつぶれないのであって、もしアダルトビデオがなければ、TSUTAYAも存在しなかったのかもしれないのだ。そういえばにっかつもポルノ映画で起死回生した映画会社だったね。
配給や上映や宣伝などにしても、実体は我々の理解をはるかに超えている。例えばアメリカでは上映作品はなんと映画館主が自分の趣味で勝手に決めていいのである。駄作でも館主が好きなら上映するし、評価の高い作品でも、客が来なければすぐに打ち切る。
映画製作では、色々な企業が絡んでおり、そのネットワークは複雑で、あげれば切りがない。スポンサーの要望により、監督が意図していたスタイルを塗り替えられることもあるだろう。映画業界なんて、ユナイテッド・アーチスツやカロルコのような大きな映画会社でさえも、一度興行に失敗してしまえばアッという間に崩壊してしまうような業界である。しかしこの映画業界の恩恵がアメリカ経済を支えている(と思う)。別に映画の裏の仕組みなど知りたいとは思わないだろうが、我々の関心の及ばぬところで色んな人たちが動いていることだけは頭に入れておきたい。もう溜息がでる。
映画会社の人たちは、いかに映画を売り込むか、上映が終わった後もまだなお考え続けている。テレビ局に放映権を売ろうかとか、キャラクター商品を作ろうかとか。この時代だから、インターネットへの関心も深い。デジタル放送も本格化しつつある。最近ではテレビゲームの映像も映画に劣らぬ迫力を増してきた(アメリカではテレビゲームは”ビデオゲーム”と言われ、レンタルビデオ店で映画のビデオと同等に扱われている)。安価に映画ソフトを購入することができるDVD産業が急成長する中、DVDが見られる家庭用ゲーム機プレイステーション2が登場したことは、ゲーマーと映画ファンの距離を狭める結果となった。もしかしたら近いうちにゲームと映画はひとつのカテゴリーに統合されて、「昔は映画とゲームは別の娯楽だったのよ」なんて言われる時代がくるかもしれない。ソニーは映画会社コロンビアも買収しており、ゲーム・映画・インターネットを有機的に結ぶための立て役者となりつつある。
世界最高の娯楽産業である「映画」は、いったいこれからどういう大進化を遂げていくのであろうか。ちょっと怖いけど、何が起ころうとも受けいれていく覚悟は必要だろうね。