脚本家は一人じゃない (コラム)

 

 三人寄れば文殊の知恵。このことわざは的を射ていると思う。
 一人で案を練るよりは、大勢で案を練った方が、思いがけない発想も出てくるだろうという考えは、日本人なら小学校時代から教えられてきたことである。だから学校の教育では、クラスをいくつかの班にわけて、団体行動みたいなものを教えられた。

 ところで、この前僕は面白い発見をした。映画史上に名高い名作の脚本家名を見てみると、脚本を書いた人が複数いる映画があまりにも目立ったのである。「ローマの休日」も2人、「ゴッドファーザー」も2人、「荒野の決闘」も2人、「雨に唄えば」も2人、「アニー・ホール」も2人、「大人は判ってくれない」も2人、「カサブランカ」は3人、「8 1/2」は4人だ。脚本家が1人だけという映画ももちろん多いが、2人以上という映画はもっとあるかもしれない。確かに、1人で書くよりは何人かで話し合いながら書いた方がいい作品が出来るような気がしないでもない。

 僕は色々の本で「ブレーンストーミング」という言葉を聞いたことがある。これはアドマンたちが積極的に行っている発想法のことである。何人かのメンバーが一つのテーマについて自由にアイデアを出し合い、それを思考の連鎖でどんどん発展させていき、個人では思いもつかない決定的なアイデアを生み出そうとするものである。出し合うアイデアは無制限で、メンバーは思いつくままに直感で発言する。ブレーンストーミングではどんなにつまらないものでも言って良い。それが他人の潜在意識を刺激し、飛躍したアイデアにつながるからである。ただしやってはいけないのが、相手のアイデアを批判すること。批判はアイデアの飛躍を妨げるので、いっさい禁止である。批判は、ブレーンストーミングが終わってから、別の機会に行う。

 アドマンたちは突然のひらめきばかりに頼っているのではない。意識的に創造しているのである。ただし、こういった発想法は複数で行うのが普通だ。一人では一定の枠からなかなか離れられない。多くの映画に脚本家が2人以上いるのは、お互いに刺激しあえるからなのである。たぶん。
 そういえばロック界にもジョン・レノンとポール・マッカートニーという最強のコンビがいた。彼らの場合、ライバル意識があったから、お互いに前進できたのだろう。

 となると、原作も無しに一人で脚本を書いた人たちが凄い。先ほど、脚本家が一人だけの映画も多いと書いたが、それは原作の本がある場合がほとんどである。
 ところが、小説でも舞台劇でもない、映画だけのストーリーを考え、自分の表現したいものを表現した偉大なる人物がいる。・・・チャールズ・チャップリン・・・。彼にはパートナーもいなければ、ライバルといえる人物もいなかったと思われる。僕は今日もまた改めてチャップリンを心から尊敬してしまった。
 アドマンの中には、ブレーンストーミングの欠点を指摘するものもおり、彼らは「程度の低いものに話を合わせなければならないし、与えられた時間内では有用なアイデアも限定されてしまう」と批判している。また、「本当に創造力のある人間なら、一人で考えることが最上である」という声もある。チャップリンは本当に創造力のある人間だったというわけ。


 P.S. ついでに思い立ったが、よく考えたら漫画家も凄い。自分でストーリーを考えて、絵まで描いてしまうのだから。一人だけで何もかもできるとは、うらやましいかぎりである。

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