100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


ノンリニア編集についてのあれこれ (コラム)

 

 パソコンは何でもできるものだ。最近つくづく思うが、昨日は人生観が変わるほど今のパソコンの価値に驚かされた。

 昨日、芸大の友達(なぜか俺の周りには芸大の友達がうようよ)の部屋に遊びに行ったんだけど、パソコンを見せてもらって開いた口が塞がらなくなった。彼もまた僕のように映画監督を目指す一人なんだけど、彼は自作映画をパソコン上で何もかも編集していた。本当に何もかもだ。簡単なカットはもちろん、ディゾルブも合成映像も何でもやっていた。空き地で撮影した映像にごく自然に建物を合成させていたところにはぶったまげた。プロの映像と何等変わりはない。パソコン一台でここまで高等な編集が出来るのかと、驚いた。彼のレベルは凡人レベルを超えていた。芸大のバックアップもあるから、録音にプロが使っているものと同じ機材を使用したり、16ミリ・フィルムもタダで(いいなあ)ビデオに落とすなどして、かなり本格的に作っていた。映像はとにかく美しく、その日はその友達が天才に見えてきた。

 彼からは色々と編集しているところを観察させてもらってたんだけど、加工前の映像も見せてもらって、僕は思った。加工前の映像は、わりと普通の映像なのである。構図はとても素晴らしいが、ビデオだからか、テカテカくっきりしていて陰影に面白味がない。しかし、パソコンで加工するとあら不思議、まるでどこかの芸術映画みたいな仕上がりになっている。まさに「画になる映像」である。彼は上手い具合に映像を汚して、ビデオ画面を「映画」にしていたのだ。

 昔の若者たちは、頑張って8ミリ・フィルムで撮影して、カッターとテープでフィルムをつなぎ合わせて、映画監督への道を驀進していた。ところが最近はどうだ。ビデオ・カメラと高性能のパソコンさえ持っていれば、プロ顔負けの素晴らしいムーヴィーを撮ることができる。

 フランシス・コッポラがこういっていた。「今の時代は、ごく普通の女の子でも偉大な映画を簡単に撮れる」と。昨日はこの言葉の意味を以前にも増して痛感した。

 芸大の友達は、僕よりもひとつ年下だ。いよいよ今年卒業だ。彼は「今は毎日が映画漬けで、好き勝手にやりたい放題できて幸せな生活を送っているけど、卒業してからが不安ですよ」と言っていた。そりゃそうだろう。僕も学生時代は時間が有り余っていたんだから。

 僕が映画を好きになったのは、チャップリンを見た高校3年の2学期から。それまでは僕は単なるゲーム・オタクで、映画などには全く興味がなかった。当時はみんなに「今から映画の世界に入ろうと思っても手遅れだよ」と言われたけど、学生のうちは時間が有り余っていたから、とにかく映画を見まくってやった。他の映画マニアに追いつきたかった一心である。今では、幼児期から映画を見ていたという仲間たちに負けないくらい映画に詳しいつもりだ。

 映画ばかり見ていると、いつしか自分が撮りたくなってくる。これは映画マニアの宿命だ。幸い、今の時代は20代前半の若者でもバイトに精を出せば簡単に機材は集められる。もう高い金はたいてビデオの編集室を借りる必要はない。僕もいよいよ始動するときがきたか。

 これからの自分の動きが、自分でも楽しみである。

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