100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


モノクロ映画についてのあれこれ (コラム)

 

 果たして映画はいつから「無色」を「失った」のか。
 30年代後期から、テクニカラーの勢力が強くなって、ハリウッド作家がこぞってカラー映画を撮り始めた。一方で、モノクロ映画の数は減らず、巨匠たちの中には頑固にモノクロ映画しか撮らなかった人も多い。「オズの魔法使」(39)と「風と共に去りぬ」(39)はカラー映画の可能性を高め、「駅馬車」(39)、「嵐が丘」(39)はモノクロとしての意地を見せる。
 だから39年から長いこと、アカデミー賞では撮影部門が白黒部門とカラー部門の二つ別れていて、それぞれを別の芸術として称えていたのだ。映画ファンはカラーとモノクロの両方に熱狂した。

 ところが、しだいに大衆はカラーを選ぶようになってきた。「せっかくわざわざ映画館に行くわけだから、どうせなら総天然色の映像を見たい」というわけ。まるで見世物。商業主義のハリウッドは、儲けたいためにもカラー映画を量産したいが、芸術主義の巨匠たちは、それでもモノクロで撮りたい。しかし大衆の望みはでかい。映画はやがてカラーに移行していき、モノクロの名作をカラーに着色してムードを壊す会社も出てきた。

 カラーで当然の今となっては、「白黒の映画は、見るのが疲れるからなぁ」なんて言う何もわかっちゃいない野郎どもが増えてきた。ここまできてしまうと、今更「無色」を取り戻すことは難しい。

 それにしても、本当に今はモノクロ映画がめっきりなくなった。この事実は、サイレント映画が絶滅したことと同じぐらいショッキングなことである。色を得たことで、映画が失ったものは計り知れない。黒と白の芸術をもう拝めなくなるのはとても悲しいことである。スティーブン・スピルバーグもティム・バートンもモノクロの良さを再認識しているのに、大衆はわかってくれやしない。もしかしたら映画会社も白黒の良さを忘れてしまっているのかもしれない。

 なぜ再認識されないのだろうか。モノクロの素晴らしさを今も理解し続けているのは、好奇心旺盛な広告業界と自主映画作家だけであろう。

 テレビCM見てて、モノクロの映像が出てきて、かっこいいと思ったことあるでしょ。映画だってかっこいいんだから。

 そういえば、CMはモノクロでもカラーでもひとまとめに「CM」といえるんだけど、映画の場合、白黒の作品は、敢えて「映画」ではなく、「白黒映画」、あるいは「昔の映画」と言われてしまうようだね。つまり大衆は白黒映画を映画の範疇に入れていないんだね。また、白黒だと勝手に「名作」と決めつけて、カラーは名作じゃないと思っているわけのわからん連中もいる。


 もしカラーが主流になった理由が、「カラーの方が珍しかったから」、だとしたら、テレビCM・ミュージックビデオ・インターネット・ビデオゲーム、色々なところで映像が氾濫している今となっては、モノクロの方がむしろ映像らしいかもしれないぞ。
 モノクロとカラーは全然違う。でも、どちらとも映画だ。映画会社にこんなこといってもどうせカラーしか作ってくれないし、テレビ局も頑固にカラー映画しか放送してくれないだろうとは思うけど、せめてこのホームページを見ている白黒映画を知らない映画ファンたちには、白黒映画の良さってものを、わかってもらいたいなあ。

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