アルフレッド・ヒッチコック (巨匠の歴史)
文字通り”演出家”。出たがりな彼は世界一の映画監督
Alfred Hitchcock
(1899~1980)
イギリスの映画監督。「下宿人」以後スリラー映画を中心に演出し、”スリラーの神様”と言われ、トリック演出の斬新なアイデアで、恐怖描写の極みと言えるシーンを多数残す。後の映画人にも強烈な影響を与えた巨匠である。
今回の<巨匠の歴史>では、”スリラーの神様”アルフレッド・ヒッチコックを特集する。しかし、この大監督をこんなにも早くここで特集して良いのだろうか・・・・・・。ヒッチは世界一有名な映画監督でありながら、その真の実力・恐ろしい手腕を知る者は少ない。それをここで学んでほしい。
●「下宿人」公開。期待の若手作家の登場だ
ヒッチコックは21歳に映画界入りし、字幕の挿し絵のデザインなどをやっていたが、23歳になると監督に転身。そして27歳に最初のサスペンス映画となる「下宿人」を発表。大絶賛される。これがヒッチコック伝説の最初の1ページである。
切り裂きジャックを材に用いた「下宿人」はまさしく大傑作であった。恐怖描写はこの頃から生きており、ヒッチのカメラワークにはただただほれぼれするばかり。ヒッチは「下宿人」製作までに、映画の作り方を完璧にマスターしていたようだ。
●やがて”スリラーの神様”に
ヒッチコックはまさに”演出家”だった。
「下宿人」の成功の後、「ゆすり」「三十九夜」「バルカン超特急」など、イギリス映画の古典となる作品を次々と発表したヒッチは、やがて「レベッカ」でアメリカに招かれる。そしてアメリカで「海外特派員」を演出、絶賛され、その後、黄金時代を築いていく。「疑惑の影」「見知らぬ乗客」を撮った頃には、もはや恐怖映画の神様となっていた。
ヒッチはサスペンスしか撮らなかった。これには理由があった。最初は恋愛ものなども撮っていたが、「下宿人」で”最高のサスペンス”と絶賛されてから、サスペンスを頻繁に撮る機会が増え、いつしか、他のジャンルに手を出したら、いつも楽しみにしてくれているファンを怒らせてしまうかもしれない、という強迫観念を抱いてしまったからである。嘘のような笑えないエピソードである。しかしそれはヒッチを結果的に成功へと導いた。ここまでひとつのジャンルにだけこだわり続けた監督は他にはいない。それがヒッチを神格化させた。
●ヒッチはトリック演出の発明家
ヒッチコックは製作も脚本も他人任せという、巨匠にしては珍しいケースの監督だが、さすがに演出一筋だと、生まれてくる映像も凄い。ヒッチはイラストレーターからスタートしたわけだから、自分の思い描いている映像をそのまま絵コンテに再現することができた。だから、自分の思い通りのシークエンスを作れたのである。映画監督のほとんどは、自分の想像していたシーンと完成したシーンが全く違うと愚痴をつぶやくことが日常茶飯事だが、ヒッチだけは別だったのだ。
ヒッチはあらゆるトリック技術を発明した。「下宿人」では無声映画でありながら、音を映像で巧みに表現したり、心理映画「断崖」ではミルクの中にライトを入れて白を強調したり、完全一人称映画「裏窓」では移動撮影とズーム撮影を同時に行ってみたり、同じショットを違う心理で何回も使ったり(左写真)、「ロープ」では全場面を1カットで撮影したり、手法があまりにもユニークで斬新なため、その作風は今のSFX映画と比べてみても、逆に新しく見えるくらいである。
●ヒッチコックのお言葉
”中庭の向こう側の光景は、様々な人間の縮図だ”「裏窓」のコメント
ヒッチコックは写真を見てもわかるように、個性的なキャラクターを持っていた。喋り方も独特で、ゆっくりと、ユニークな映画論を述べるその姿は、かえって我々映画マニアに畏敬の念を抱かせてしまう。
それでいて実はグレイス・ケリーやティッピ・ヘドレンなど、主演のブロンド美人によくセクハラをしていた、いけないおじさんなのだ。(それにしてもヒッチ映画には「下宿人」以降からブロンド美人が頻繁に登場するなぁ)
一度、若き映画評論家のフランソワ・トリュフォーは、ヒッチコックへ単独密着インタビューを行っているが、その会談で語られた映画トークを収めた本「映画術」は、もはや映画愛好家にとっては聖典のような存在になっている。様々な撮影テクニック・映画セオリーを次々と(ただしゆっくりした口調で)口から発するヒッチコックの天才的思考力。スティーブン・スピルバーグら若き映画作家が彼を崇拝してやまない理由もうなずける。
●見よ、この作品数!
ヒッチコックは長編映画を50本以上監督した。恐らく、映画監督の中では最も沢山の映画を演出した監督である。しかもその9割以上はサスペンスかホラー(スリラーという言葉には両方のニュアンスがある)である。1年のうちに2本も大傑作を残すこともあった。「サイコ」などは、シャワーのシーンを除けば、あとはアッという間に撮影を済ませたらしい。この早すぎるペースはいったい何なんだ? その作品数は、どれだけヒッチコックが優れた演出家だったのかを証明している。
なお、これだけの作品がありながら、ヒッチはアカデミー賞を一度も取っていない。芸術性よりも娯楽性を選んだからだろうか。面白ければ映画なんて、芸術も娯楽も関係ないのにね。
ちなみに、ヒッチはミステリーを意外にも数本しか残していない。「謎が解けてしまったら、もうその映画は二度と楽しめなくなってしまうからね」というのがヒッチのこだわりである。
●お楽しみは他にもあるよね
ヒッチコック映画の小さな楽しみといえるのが、ヒッチ探し。必ず自分の映画の序盤に1ショットだけジョークで出演する。
別に出たがりだったわけではないが、これは「下宿人」でエキストラが足りなかったのがきっかけで、自分が代わりに出てみると、これが結構面白く、ヒッチ先生はその後ときたま出演したくなった。ところが、人気が出てきてからは、でなければ観客を裏切るような気がしてきて、とうとう例のように、レギュラー役者になってしまったのである。
ヒッチはまさにヒッチ映画の顔となった。自分を娯楽化していまうところがツヨイ。
Alfred Hitchcock
(1899~1980)
イギリスの映画監督。「下宿人」以後スリラー映画を中心に演出し、”スリラーの神様”と言われ、トリック演出の斬新なアイデアで、恐怖描写の極みと言えるシーンを多数残す。後の映画人にも強烈な影響を与えた巨匠である。
今回の<巨匠の歴史>では、”スリラーの神様”アルフレッド・ヒッチコックを特集する。しかし、この大監督をこんなにも早くここで特集して良いのだろうか・・・・・・。ヒッチは世界一有名な映画監督でありながら、その真の実力・恐ろしい手腕を知る者は少ない。それをここで学んでほしい。
●「下宿人」公開。期待の若手作家の登場だ
ヒッチコックは21歳に映画界入りし、字幕の挿し絵のデザインなどをやっていたが、23歳になると監督に転身。そして27歳に最初のサスペンス映画となる「下宿人」を発表。大絶賛される。これがヒッチコック伝説の最初の1ページである。
切り裂きジャックを材に用いた「下宿人」はまさしく大傑作であった。恐怖描写はこの頃から生きており、ヒッチのカメラワークにはただただほれぼれするばかり。ヒッチは「下宿人」製作までに、映画の作り方を完璧にマスターしていたようだ。
●やがて”スリラーの神様”に
ヒッチコックはまさに”演出家”だった。
「下宿人」の成功の後、「ゆすり」「三十九夜」「バルカン超特急」など、イギリス映画の古典となる作品を次々と発表したヒッチは、やがて「レベッカ」でアメリカに招かれる。そしてアメリカで「海外特派員」を演出、絶賛され、その後、黄金時代を築いていく。「疑惑の影」「見知らぬ乗客」を撮った頃には、もはや恐怖映画の神様となっていた。
ヒッチはサスペンスしか撮らなかった。これには理由があった。最初は恋愛ものなども撮っていたが、「下宿人」で”最高のサスペンス”と絶賛されてから、サスペンスを頻繁に撮る機会が増え、いつしか、他のジャンルに手を出したら、いつも楽しみにしてくれているファンを怒らせてしまうかもしれない、という強迫観念を抱いてしまったからである。嘘のような笑えないエピソードである。しかしそれはヒッチを結果的に成功へと導いた。ここまでひとつのジャンルにだけこだわり続けた監督は他にはいない。それがヒッチを神格化させた。
●ヒッチはトリック演出の発明家
ヒッチコックは製作も脚本も他人任せという、巨匠にしては珍しいケースの監督だが、さすがに演出一筋だと、生まれてくる映像も凄い。ヒッチはイラストレーターからスタートしたわけだから、自分の思い描いている映像をそのまま絵コンテに再現することができた。だから、自分の思い通りのシークエンスを作れたのである。映画監督のほとんどは、自分の想像していたシーンと完成したシーンが全く違うと愚痴をつぶやくことが日常茶飯事だが、ヒッチだけは別だったのだ。
ヒッチはあらゆるトリック技術を発明した。「下宿人」では無声映画でありながら、音を映像で巧みに表現したり、心理映画「断崖」ではミルクの中にライトを入れて白を強調したり、完全一人称映画「裏窓」では移動撮影とズーム撮影を同時に行ってみたり、同じショットを違う心理で何回も使ったり(左写真)、「ロープ」では全場面を1カットで撮影したり、手法があまりにもユニークで斬新なため、その作風は今のSFX映画と比べてみても、逆に新しく見えるくらいである。
●ヒッチコックのお言葉
”中庭の向こう側の光景は、様々な人間の縮図だ”「裏窓」のコメント
ヒッチコックは写真を見てもわかるように、個性的なキャラクターを持っていた。喋り方も独特で、ゆっくりと、ユニークな映画論を述べるその姿は、かえって我々映画マニアに畏敬の念を抱かせてしまう。
それでいて実はグレイス・ケリーやティッピ・ヘドレンなど、主演のブロンド美人によくセクハラをしていた、いけないおじさんなのだ。(それにしてもヒッチ映画には「下宿人」以降からブロンド美人が頻繁に登場するなぁ)
一度、若き映画評論家のフランソワ・トリュフォーは、ヒッチコックへ単独密着インタビューを行っているが、その会談で語られた映画トークを収めた本「映画術」は、もはや映画愛好家にとっては聖典のような存在になっている。様々な撮影テクニック・映画セオリーを次々と(ただしゆっくりした口調で)口から発するヒッチコックの天才的思考力。スティーブン・スピルバーグら若き映画作家が彼を崇拝してやまない理由もうなずける。
●見よ、この作品数!
ヒッチコックは長編映画を50本以上監督した。恐らく、映画監督の中では最も沢山の映画を演出した監督である。しかもその9割以上はサスペンスかホラー(スリラーという言葉には両方のニュアンスがある)である。1年のうちに2本も大傑作を残すこともあった。「サイコ」などは、シャワーのシーンを除けば、あとはアッという間に撮影を済ませたらしい。この早すぎるペースはいったい何なんだ? その作品数は、どれだけヒッチコックが優れた演出家だったのかを証明している。
なお、これだけの作品がありながら、ヒッチはアカデミー賞を一度も取っていない。芸術性よりも娯楽性を選んだからだろうか。面白ければ映画なんて、芸術も娯楽も関係ないのにね。
ちなみに、ヒッチはミステリーを意外にも数本しか残していない。「謎が解けてしまったら、もうその映画は二度と楽しめなくなってしまうからね」というのがヒッチのこだわりである。
●お楽しみは他にもあるよね
ヒッチコック映画の小さな楽しみといえるのが、ヒッチ探し。必ず自分の映画の序盤に1ショットだけジョークで出演する。
別に出たがりだったわけではないが、これは「下宿人」でエキストラが足りなかったのがきっかけで、自分が代わりに出てみると、これが結構面白く、ヒッチ先生はその後ときたま出演したくなった。ところが、人気が出てきてからは、でなければ観客を裏切るような気がしてきて、とうとう例のように、レギュラー役者になってしまったのである。
ヒッチはまさにヒッチ映画の顔となった。自分を娯楽化していまうところがツヨイ。