『つやのよる』
(C)2013「つやのよる」製作委員会

行定勲監督
行定勲監督

完成披露試写より
『つやのよる』完成披露試写会の様子

『つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語』
行定勲監督 インタビュー

1月26日(土)から、行定勲監督(44)の最新作『つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語』が公開される。阿部寛演じる松生を中心に、小泉今日子、野波麻帆、風吹ジュン、真木よう子、忽那汐里、大竹しのぶらが演じる女性たちが織りなすセンセーショナルな愛の物語である。それは行定勲監督が得意とする群像劇のスタイルを取りながらも、これまでの群像劇とはひと味もふた味も違っている。この公開を目前にして、幸運にも行定勲監督に直接会って話をうかがうことができた。前半では主に新作『つやのよる』について、後半では主に行定勲監督自身について質問している。行定勲監督が新作『つやのよる』にいったい何を込めたのか。これまで『GO』、『世界の中心で、愛をさけぶ』、『北の零年』などヒット作を放つ一方、『遠くの空に消えた』、『パレード』など新しいことにも挑戦してきた日本を代表する気鋭の映画監督の横顔に迫りたいと思う。

--この作品をつくろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

デビュー作『ひまわり』から、『きょうのできごと』、『パレード』と群像劇が好きで作ってきたんですけど、井上荒野さんの愛についての物語が連作されたこの原作と出会って、今までの群像劇の在り方とはちょっと違うものが作れそうな気がしました。幾層もの愛についての物語が描かれる中、その中心にある主人公の松生という男の愛の在り方を知ることで影響された女性たちが松生の愛し方と同じベクトルになって向かっていくという。そういうのが構造として最初に浮かびました。題材として井上荒野さんの小説のひとつひとつの愛の片鱗が素晴らしかったんで、これは映画にしたいなと思った感じですね。

--群像劇に対するこだわりを聞かせてください

こだわりというわけではないんですけど、一人の人生を描くという在り方もあると思うんですけど、群像劇っていろんな人たちがいろんな状況の中で、それぞれが切磋琢磨するわけですよね。背景がわからない人たちがどんどん登場していくわけじゃないですか。それを探っていくのは作り手としては面白いものなんですよ。人一人の生き様を描く場合は、お膳立てされてこの人がこういう時代にこういう風に生まれてというのをだんだん補足しながら、いろんな背景が出てきて、観客と同時に徐々に共感していくわけですけど、群像劇はそうじゃないんですよね。

群像劇は瞬時にその人がどういう人間であるかが見えなきゃならない。たった10分とか15分しか出てこない登場人物だっている。その役を演じる俳優はそれぞれ背景や歴史をしっかりと想像する訳です。いろんな人たちの人生が凝縮されるというか。短ければ短いほど、映ってるところはそこしかないから、この人はどういう人間なのかもっと考える。そういうところを作っていくのは物凄く面白いんですよね。群像劇というのはそういう魅力があるような気がしますね。

--役者はどういう基準で決めているのですか?

この映画に関しては、とにかく今の日本映画の主流とはまったく違う映画なので、自分の中で映画として観客に見てもらう最大の条件は、豪華キャストが必要だということでした。エンターテイメントとして捉えてもらえるためには、すみからすみまで観客みんなが知っている女優たちや俳優たちが登場して目を離せないような芝居をつくること。例えば岸谷五朗さんだとか「ここにこういう人が!」という。好きな俳優や女優たちが集まってくれたことは物凄くいい状況でした。しかし、内容が内容なだけに、俳優や女優たちがとにかくワンシーンワンシーン見逃せないくらい面白いことをしてくれるんだという期待値でイメージできるキャスティングにしました。

--阿部寛さんを選んだ決め手は?

原作の小説を読んだときに阿部さんのイメージがすごくあったんですよね。背が高くてげっそりとやつれていると。原作の方がリアリティがある感じで書かれてあるんですけど、映画だからちょっと不思議な男にしたいなと思ったんですよね。真面目に人生を生きてるだけなのに、妙に挙動不審だったり。阿部さんはおかしみのある人間性みたいなものをパッと出せる人だなと思ってたんで、そういう意味では是非お願いしたいと思ったし、阿部さんじゃなかったらこういう映画にならなかっただろうなと思いますけど。

--普段何か小説を読んでいるときも映像化について考えたりしますか?

基本的には映像化したいと思って小説は読まないですね。小説は小説ですね。ただ、自分が常に抱いてるテーマが合致したときにこれを題材に映画にしようと思うんです。だから物語の筋書きが良かったからこれを映画化したいというのは今まであまりないんですよね。小説として読んで、そこに書かれている事柄が自分の感情を露わにするんですよね。この感情を映画化したいと思ったからその小説を題材にする、という順番でしょうか。

今回の井上荒野さんの小説は一言で「愛」っていうけど、曖昧なんですよね。物凄く複雑な人間関係の中に愛というものがそれぞれに浮き彫りになってる。この愛がどれもどうしようもないんですよ。みんなが美化してる愛とは違ってもっと生々しい。人間というのは皆、その愛にしがみついてるんですよね。かつて自分たちの中で浮き彫りになった愛というのは嫌いになったからって簡単に手放せるものじゃないんですよね。そういうことが井上荒野さんの小説にはちゃんと書かれている。こういうのこそ映画化して大人の人たちに見てもらわないと。昔はね、僕が好きだった映画はそういう曖昧さの中にあったんですよ。観客が曖昧さを受け取って自分なりに解消してたんですね。

--心に残っている特別な映画は?

成瀬巳喜男監督の映画はとくに。『乱れる』だとか『流れる』とか。一番は『浮雲』だと思うんですけど、惹かれあった男と女の中に介在する愛に対する感情の複雑さと、どうしようもなくなった男と女の関係みたいなものが見事に描かれてますよね。心を掻き乱されるような感情がそこにあるという。そういうものはかつての日本映画にはすごくあったんですよね。

あとは神代辰巳監督の『恋文』とかね。この映画も僕が若い頃に見たときには男と女の在り方って知らないわけですよね。簡単に割り切れるものじゃない愛の在り方がそこにあって『つやのよる』にも非常に参考になってるんですよ。人生を重ねていくと、わかんなかったものが今になると物凄くわかる。僕も40を過ぎて、人生を振り返るんじゃなくて、今という人生を生きてなきゃいけないから余計そう思うようになったというか。『つやのよる』も若い映画ファンとかが見て「なんかわかんなかったな」と思う部分があってもちろんいいわけで。でも何年かしてこういう感情がわかってくる。「今わかるんだよね」という。映画ってそういうことが起こるから面白いんですよね。

--場面が変わるところでアコーディオンの音楽が流れますが、これはどういう効果を狙っていますか?

音楽はほとんどあの1曲しかないんですよ。松生に当ててるテーマなんですけど、基本的にはいくつかの恋愛劇の層として折り重なってるんで、場面転換にすごく世界観のある音楽を提示することで、観客に「繰り返し感」を与えたいというか、映画の繰り返しの中で積み重なっていくものがこの映画のひとつの特色なんで、その効果でしょうね。

感情にあててる音楽というのは基本的に排除してるんですよね。それはなぜかというと、それぞれ見た人間がひとつの感情にならないようにしたかったからです。それぞれの経験値も違うだろうし、年齢も違う人たちがみたときに、そこは自由にいろんなことを考えて欲しいから。これは愛についての話ですから、その状況の顛末を見ながら、それぞれの状況の中でいろんなことを思い抱いて欲しかったんです。

場面転換でその曲1曲を繰り返すのが僕のコンセプトだったんで1曲しかないのは完全に狙いで、前作の『パレード』も1曲なんですよ。『パレード』では繰り返し繰り返しで、状況が変わって行くと同じ曲が違う曲に聞こえてくるという効果だったんですね。『つやのよる』はどっちかというと、繰り返してながらそこにぐっと戻すというか。いくつかの恋愛劇が層になってるんで、曲が始まるたびに全部が並行して流れているというか、その感じを作り上げたかったんでしょうね。

--原作ものとオリジナルストーリーとの違いは?

まず今の映画界自体にオリジナルがなかなか映画として成り立たなくなってる状況があるんですよね。水面下ではいくらでもシナリオというものは日々吐き出してるものなので、あえてオリジナルも作ってはいるんですけど、基本的にはやっぱり原作をもとに描きたかったテーマを見付け出して映画化しています。原作があってもやっぱり自分が描きたい方向に書き換えてしまうんで、あまり僕の中ではオリジナルと原作ものに違いがないんですよね。ただ、やっぱり原作の持ってる本質を損なわないようにつくろうという配慮は原作ものにはあります。オリジナルはそれがないから自由なわけで、その差くらいですかね。

--普段は熊本にいると聞いたのですが

普段はこっちにいるので、熊本にいるわけじゃないですけど、熊本にアトリエがあって、このシナリオも熊本のアトリエで書いたんです。シナリオを書くとき、東京でやると集中できないんですよね。もう「シナリオ書きたいモード」に入ったときに熊本に逃げていって。映画を撮ってないときはそこで書き終わるまで書いてくるみたいなことがあるんです。やっぱり打ち合わせとかそういうところから逃れたいものなんですよ。

--最近の日本映画界を見て思うことは?

インパクトがあるものとか、ものすごく有名な原作であるとか、原作ものであってもラストシーンは変えましたとかよくやりますよね。今、製作者たちから望まれている映画は物語が単純明快になっているように思います。誰がどう見てもこういう場面でこういう気持ちで泣いて、悲しいとか嬉しいという風に。日本映画自体はわかりやすいものを求めているんだろうなというのは感じていますけど、そういうものが多い中なので、あえてちょっと曖昧で、僕らがインディーズのころに培ってきたような映画を、もっとこの映画界の中で作り上げなきゃいけないんだろうなというのはずっと思っています。『つやのよる』もそういう意味あいがすごくあったと思います。わかりやすさだけではない、それぞれの観客が想像したり解釈したりする映画というか。もちろんそれは観客を選ぶものだとは思いますけど。それは百も承知で今の映画とは違うものを『つやのよる』で目指しました。

--外国映画はどうですか?

やっぱり外国映画は今面白いですね。数年前、アメリカ映画はしばらく振るわなくて、ある種低迷したんですよ。ネタもなくなって、リメイクばっかりやったり、リバイバルばかりやってるのがしばらく多かったでしょ。しかし、水面下で才能がどんどん作られていったんですよね。アメリカでは今はすごく刺激的なオリジナリティのあるものがどんどん作られてる。日本もどんどんそういうことに感化されてオリジナリティあるものが作られていくべきだと思います。

--映画以外で今ハマってることとかありますか?

これも仕事ですけど、芝居をね。演劇が好きで。演劇はずっと見るものと思ってたんですよ。数年前に演劇の演出を依頼されて、演劇は歴史的にも映画より前からあるものなので、やらなきゃならないものだと思いながら始めましたが、演出をしていてすごく面白いですね。2月に『テイキング サイド』という銀河劇場で1本芝居をやって、その後中井貴一さんとパルコ劇場で『趣味の部屋』という、立て続けに今年は2本演劇を作るんですよ。ハマってるっつったらそれかな。

--映画と演劇の違いは何ですか?

「映画は監督のもの」と言われることが演劇をやってみてよくわかったんですね。なぜなら、映画は監督が最終的に編集しますよね。監督は俳優の大切だと思った部分をあえてカットしたりすることもできるわけです。ある種監督が役者たちを撮ったものを全部握ってるんですよ。演劇はそれがないんですよね。編集がないからカットができないわけです。逆にいうと「演劇は役者のもの」なんです。だから演劇をやることで役者にものすごく寄り添うようになったんです。もちろん演出をするわけですけど、役者に寄り添ってないと、今度は逆転で舞台上でその回1回だけバーンと違うことをやられちゃう可能性もあるわけですよね。この違いは明らかにあるでしょうね。

--今後やってみたい目標とかありますか?

もう現実的になってるんですけど、海外で映画を撮っていくということをやっていかなきゃいけないなと思っています。とくにアジアがこういう状況ではありますけど、政治的なこととは切り離して話すと、アジアで映画を撮って行こうという念願が僕の中であるわけですよね。とくに台湾や中国で撮ったり。水面下では動いてはいるんですけど、それは実際に成立させたいです。一度韓国で映画を一本撮って、韓国のスタッフと日本のスタッフが融合することがすごくいい経験になったんですよね。映画というのは言語を超えるんで、映画というフィールドの中で海外の人たちと仕事をしていきたいですね。とくにアジア人をひとつにしたような映画を撮りたいと思っています。

--やっぱり言葉は変わっても中身は同じですか?

同じですね。映画に対する思いもあるしリスペクトがある。それぞれに彼らがやってきたこと、僕がやってきた映画に対して、お互いにリスペクトさえあれば映画というものは成立すると思いますね。そういうものじゃないかと思います。なかなか面白いものですよ。これをやらない手はないなという。喜びもまたちょっと違うというかね。わかりあえるというだけでもやっぱりすごく大きなことなんでね。

--SFや歴史スペクタクルのような映画を作ってみたいとは?

今はあんまり考えてないですね。人間ドラマの方が性に合ってるんですよね。なんだろう、なんかこう自分の人生の途上にあるものとか、自分の延長にあるものとか、そういうものは映画をやったりすると、いろんなことが自分の中でわかったりするものなんですよね。自分でわかり得ないものを手がけると理解することができたり、映画を作るたびに経験値があがってくるというか。そういう気持ちがあるんで、やっぱりそういうものがいいかと思ってますね。

--映画を作る上で大切なことは何だと思いますか?

信じることですかね。スタッフがいたり俳優がいたりするわけですよね。信頼関係が築けるかどうかはすごく重要じゃないですか。相手を信じてないとお互いに委ねられない。そういう意味じゃ信頼という感情は大切にしてますね。その人のことを信じようと思います。だからほとんど嫌いになったりしないですよ。また一緒にやろうという気持ちになります。

(澤田英繁 2013.1.8 取材)

1月8日に行われた完成披露試写会(写真参照)でも行定監督は「今までの群像劇の在り方とはちょっと違うものを作ろうと思った」と話しており、この作品にかける熱意の強さが伝わってきた。『つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語』は1月26日(土)に全国ロードショー。