1956年 (映画史博物館)

1956年はテレビに対して、映画産業がピークに達した年であった。この年ビデオテープ・レコーダーが発表されるが、映画産業はますます急発展し、日本の映画会社6社は二本立て上映を実施。画面の大きさを売りとした大がかりな作品が評判になった。中でもマイケル・トッドが開発した巨大なパノラミック魚眼レンズを使った1:2.21比の65ミリ映画「80日間世界一周」は40人を超えるスターが総出演し、エキストラも約7万人、世界中をロケしてまわり、撮影隊が飛んだ飛行距離はなんと地球と月を8往復した距離に相当する。すべてが常識破りのスケールで、映画の娯楽性を極めた同作はアカデミー賞の最優秀作品賞を受賞した。この年は他にジョージ・スティーブンスの「ジャイアンツ」、セシル・B・デミルの「十戒」、ディノ・デ・ラウレンティスの「戦争と平和」などのスペクタクル映画が作られた。
56年はミュージカルも人気があった。興行収入の1位はマーロン・ブランドの「野郎どもと女たち」だった。ロジャース&ハマースタインの「回転木馬」、「王様と私」も映画化され、後者ではジェローム・ロビンスが振り付けを初担当。「上流社会」公開後には主演のグレース・ケリーがモナコの大公と結婚し、引退、大いに話題をさらった。また「知りすぎていた男」でドリス・デイが歌った『ケ・セラ・セラ』は大ヒットし、後にスタンダード・ナンバーとなる。
日本では石原慎太郎の小説が続々と映画化され、弟の石原裕次郎が兄の作品で映画デビューを果たした。ベネチアでは市川崑の「ビルマの竪琴」がサン・ジョルジュ賞に輝いた。
好調だったのはフランスで、「居酒屋」がキネマ旬報ベストテンで断トツの1位になる。また「赤い風船」はセリフのない短編映画だったにも関わらずアカデミー賞の脚本賞を受賞した。脱獄ものの傑作「抵抗」もこの年公開された。
 



エルヴィス・プレスリー
この年「ハートブレイク・ホテル」でメジャー・レコード・デビュー。たちまちロックン・ロール旋風が巻き起こる。ハリウッドにも進出し、アイドル映画を量産した。→DVD



マイケル・トッド
トッドAOワイド・システムを開発し、彼にとって最初で最後となる映画「80日間世界一周」が公開。大勢のスターがチョイ役で出演する「カメオ」方式を確立。→DVD



カラヤン
この年、オーストリアの指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身芸術監督に就任。音楽界の帝王と呼ばれるようになる。



1. 野郎どもと女たち
2. 王様と私
3. 空中ぶらんこ
4. 上流社会
5. 明日泣く


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