1952年 (映画史博物館)

1952年は日本における映画最盛期といっても過言ではない。戦時中に上映できなかった海外の名作が、この年ドッと日本で公開されている。ヴィヴィアン・リーの「風と共に去りぬ」と「欲望という名の電車」が日本で上映されたのもこの年である。この他「第三の男」「天井桟敷の人々」など、米・英・仏・伊のあらゆる傑作がこの年日本に出そろった感がある。キネマ旬報ベストテンではチャップリンの「殺人狂時代」が1位に輝いた。一方邦画の方も「稲妻」「おかあさん」などの成瀬巳喜男作品や、「真空地帯」、「西鶴一代女」が公開され、まさに映画が最高の娯楽文化であることを示した輝かしい1年だった。
海外ではアメリカの巨大スクリーン化が話題になった。シネラマ映画や3D映画が生まれたのもこの年だ。アメリカでは「雨に唄えば」などのミュージカルが人気だったが、オスカーレースは「真昼の決闘」と「静かなる男」を抑えて「地上最大のショウ」が勝利した。
赤狩りが続く中、チャップリンはアメリカを追放される。劇作家のリリアン・ヘルマンは非米活動委員会の召喚を拒否。「革命児サパタ」を撮ったエリア・カザンはかつて自分が共産党員だったことを証言し、かつての仲間達の名前を密告し、映画界に衝撃を与えた。
チャップリンの「ライムライト」、ルネ・クレマンの「禁じられた遊び」、黒澤明の「生きる」と、生きることについて描いた作品も目立つ年だ。
 



イブ・モンタン
フランスのシャンソン歌手。「恐怖の報酬」で命懸けのニトログリセリン運搬の仕事を引き受ける男を演じ、役者として初めて評価された。




シモーヌ・シニョレ
フランスの女優。マルセル・カルネの「嘆きのテレーズ」に主演。夫を殺す不倫妻を演じ、この年最も高く評価された女優である。



カルティエ・ブレッソン
マグナム・フォトスを結成したフランスの報道写真家。この年ブレッソンの伝説的写真集「決定的瞬間」が刊行された。44歳だった。→写真集



1. 地上最大のショウ
2. クオ・ヴァディス
3. 黒騎士
4. キリマンジャロの雪
5. 底抜け艦隊



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