インタビュー:渡部遼介 (特別企画)


1971年12月29日東京生まれ。
映画・テレビ・舞台などで活躍する期待の若手実力派。
5月には舞台「Crazy Host Returns」の公演が待っている。
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 2001年3月12日
 Olive Houseにて
<特別企画15>
映画人インタビュー・シリーズ第1回
 


 
俳優と監督の関係について、俳優側からの考えを聞かせてください。
正直、日本の俳優って割と監督とかに信用されてないと思うんだね。時間的な要素も大きいんだろうけど。例えば登場人物が考え事している時、「あ」ってビートがチェンジする時あるじゃない。そういう時にパッとカットを切り換えがちなのね。気持ちのリズムが変わった時にカット変えるから、映画としてのリズムができるわけ。そういう風にだいたいしちゃえば、アイドルとか演技できない人間もどんどん起用できるし。だからそういう役者が全然舞台できなかったりするわけよ。監督だって「演技できなくてもカット割すればいいや」くらいに思ってるから。もっとも役者は華が必要だし、それを優先していくのは十分理解できるんだけどね。
俺は役者が「あ」っと思ったときに、気持ちの切り換えを逃げないで画で追って欲しいわけ。マーロン・ブランドが「ゴッドファーザー」で演技してるときとか、それをずっと追って欲しいの。登場人物たちがリズムを作ってさ。それが本当は自然でしょ。それをさ、パッと役者が目を開けたときにカットを変えたりする。確かにその作品がどういう条件で上映されるのか、によっても作り方が違うから一概には言えないんだけど、それを簡単に切り換えない方が却ってスリリングだと思うんだよね。前に映画学校に行ってる同年代の奴にそれ言ったの。「なんでここでもカットを変えるわけ?」って。「役者の演技のチャンスを殺してる」って。奴がいうには「ここで気持ちの切り換えがあったからカットを変えた」って。当然カットでリズムを見せてもいいし、役者の演技でリズムを見せてもいいし、色々チョイスはあるんだろうけど。だって必ずしも監督がそんなとこ主張する必要はないと思うんだね。カメラと役者が同じことやったって面白くないんだよね。時々もったいないよ。
確かに。監督はカットを切り換えがちですよね。そういうところで自分のスタイルを見せようとする人が多いです。そういう人たちは、役者の演技を信用してないのかな。演技を台無しにしてますよね。
うん、今非常に偏った言い方してるのは分かってるんだけど、たぶんそういう風に安全策を取ってる場合もあると思うんだよ。
役者はイメージを具現化しようと思って、結果的に間を置いたり、「ここなんだよ」ってイントネーションとか語勢が変わったりするわけじゃん。これってじっくり撮ってもいいじゃない。それに、それぐらいは監督が役者に求めてもいいと思う。
もう一つ似たようなことがあるんだけど、ハリウッドの映画とかってさ、カットの頭でスーッとちょっと動くことがあるじゃん。日本とかじゃ切り換わっても額縁みたいに画が止まってることが多いのね。俺はちょっと動いて欲しいの。余りにも額縁だとさ外の世界が見えないのね、実際。画が決まっていて、監督はこの中でどういう風に動くか前提で演出するじゃない。だからいつも役者がこっちからこっちに行っちゃいけないんじゃないかって潜在的に意識しちゃうの。うまい監督は、役者がどう動くかを考えた上で、さも役者が自由に動いてるようにカメラを置く。これが凄いと思うんだけど、それができる監督は数多くいないと思うね。
演出するときは、キャラクターがそのとき何を考えているのか、説明した方がいいんですか?
俺は、基本的に全部言ってほしくない。考えが間違っても遊べるから。最初から「こういう形ですよ」と説明してしまうと、しないよりも遊べなくなっちゃう。でも、ポイントだけ言ってくれたら、役者としても「じゃあ、こういうキャラクターにしようか」とか、自分につながるようにイメージが派生していくわけじゃん。だから、監督が自分で計り知れないキャラクターが生まれたりする可能性もあるわけだしさ。
人のセンスで動くことはなかなか難しいから、何とか自分のセンスにしていかないと。だから、三池崇史さんの現場の話を仲間から聞いたことがあるんだけど、「面白いけど、もう少しこうだよ。そう、そうだよ! ハハハ!」という風に、相手のイマジネーションを殺さないようにすればもっと可能性は広がると思う。楽しそうだよねえ。だって照明でもそうじゃない。「こういう表情撮りたいんだよね~」っていったら、照明さんも「よし!」って思うじゃん。でも「ここは下から当てて」とか全部言ってたら、照明さんのモチベーションもあがんないじゃん。監督が喜んだらみんなが喜ぶ。だから監督がハハハって笑ったら、現場はワッて盛り上がるんだよね。三池さんはたぶんそれがうまいんだろうね。
いい監督ってのはそういうところですね。
うん。そういうのも大事かもね。ほら、アイデアを出し合って、まさにブレインストーム。役者がどんどんアドリブとか、イマジネーションを発揮させるのよ。そういう持っていき方が大切。絶対批判しない方がいいよね。だって批判しなくても方向は180度変えられるんだからさ。俺はそれが一番大事だと思うね。プロ・アマ問わずね。やっぱさ、メイクさんでもさ、チョイ役でもちゃんと時間かけてメイクしてくれたら、「よし頑張ろう」と思うよ。でも、ちょっとニキビの赤いところ直されただけだったら、「あー、俺はこれぐらいしか写んねえのか」という風にどうしても思うわけじゃない。全く褒められたことじゃないけど。実際は監督の手のひらで動いてるんだし、またそうでありたいんだけど、そこでいかにも「人間と人間でやってんだよ」という姿勢が表せる人が理想的だよ。職種を越えて付き合える人間というか。
アラーキーさんの写真とか、すごい色っぽいじゃん。あれって、スタッフが周りにいるのにさ、まるで二人っきりのようじゃん。いいねえあれ。あれって監督の手腕でしょ。先ず画角がどうこうとかそういうことじゃないんだよ。きっとね。
人を乗せていい気持ちにさせることだよね。そしたら後でお互い何十倍もいい気持ちになるんだから。  
インタビュアーが感じたこと

渡部さんと会って、色々な意味で勉強になりました。僕は今まで映画を見ているとき、「ここはどういう風に撮ったらいいのか」とかそういうことばかりに考えを向けていて、役者の立場に立って物事を考えたことがありませんでした。でも、渡部さんの話を聞いていて、映画作りに対する役者なりの姿勢というのもあるのだなと、今までの自分に見えなかった新しい発見がありました。今回学んだことを将来の役に立てたいと思います。(澤田)

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