ペトル・ゼレンカ監督インタビュー

『カラマーゾフ兄弟』ペトル・ゼレンカ監督インタビュー

EUフィルムデーズのイベントで、『カラマーゾフ兄弟』が日本初公開された。このイベントのためにチェコから映画監督のペトル・ゼレンカが来日。ヨーロッパ映画の価値を問うシンポジウムに出席した後、過密スケジュールの間を縫って、シネマガの独占取材に応じてくれた。

--この映画を作ろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

「俳優への尊敬が大きな理由だったと思います。それからやはり舞台上での俳優と舞台の裏に立つ俳優の有様を紹介したかったのです」

--鉄工所を舞台に選んだ理由は?

「理由はいくつかあります。もちろん題材になったのは有名な戯曲です。舞台そのものは事実の世界ではなく、やっぱり虚実の世界になるわけですので、そうじゃない方の舞台を見せたかったわけですが、できるだけリアルな場所を求めて、工場にしました。最初のアイデアは鉄工所ではなくて、ポーランドの北にある港町の船を作る工場を使いたかったのですが、色々考えた結果、やはり鉄の音が鳴り響く重工業の工場を使った方がいいのではないかと思いまして鉄工所にしました。工場で実際に働いている労働者の目を通して、世界的に有名な舞台の題材を見て欲しかったのです」

--とても演劇的な作品ですが、演劇に受けた影響については?

「この映画は、99%は演劇ですからね。実際の舞台よりもう少し異なる表現を彼らに追及したつもりです。お気付きかと思うんですけど、彼らの演技は映画ではあるべきではない演技の仕方をしているんですね。チェコの俳優を育てる教育制度というのは大変長く、舞台と映画の俳優というのははっきりと分かれていまして、どちらかというと、チェコの俳優というのはおおげさに演じるのはけしからんと言われるわけですが、私は彼らにそういう風に演技するように頼みました。私が言うと変な風に聞こえるかもしれないですが、リアルな演技から離れたお陰で、ここ20年のチェコ映画の演技としては最も優れたものになったと思っています」

--日本人は、チェコ映画と聞くと最初に人形アニメーションを思い浮かべますが、監督も人形アニメーションに何か影響とか受けているのですか?

「本作については人形劇には全く影響を受けていませんが、チェコには人形劇の長い伝統がありますから、それもあって人形劇のシーンをひとつ取り入れたのは事実です」

--映画監督になったきっかけは何だったのですか?

「色々な事情があって、映画監督になる他なかったんですね。もともとはシナリオライティングをプラハの芸術大学映画学部で専攻していました。両親はシナリオライターの仕事をずっと前からやっていますが、両親は私に映画監督にだけはなって欲しくなかったらしくて、色々と警告されたのですが、ご存知のように1989年に40年にわたる共産主義がなくなりまして、そういう時代が廃止されてから映画というのも国有化されなくなったわけですね。そういう事情もあって、シナリオライターが監督を兼ねなければ仕事ができないという状況に追い込まれたのです」

--今回の撮影で大変だったことは何ですか?

「ロケとして使った工場が現役の工場で、撮影しているとき、実際にそこで人が働いていたことですね。もちろんお金があれば作業を休止させることもできたかもしれませんが、それは無理なことですから、実際に周りに人が働いている中で、ヘルメットをかぶって撮影の作業をしていました。こういう工場というのは、シフト制ですから、一日中働いている人がいるわけです。ホールがいくつかあって、ひとつが休んでいても、その隣で溶かした鉄が流されていたりして、私たちは注意深く作業しなければならなかった。ひとつ本当に危なかったなと思う出来事がありまして、突然、撮影中にガーンというけたたましい音が響いたんですね。それと同時に照明が消えちゃったんですね。どうしたんだと聞くと、ヒューズが飛んだということで、たまにこういうことがあるということでしたが、音の原因はと聞くと、重たい鉄の塊を運ぶときに電気磁石を使っているんですって。停電して運んでいた鉄が落ちたわけですね。何か運ばれているのは知っていましたが、何トンというものを磁石で運んでるんですからね。そんなこともあったから本当に大丈夫かなと思いましたね。工場の撮影はこんな毎日でした」

--主演のイヴァン・トロヤンさんの印象は?

「正直に言いまして、この上ない存在だと思います。ずっとひとつのテーマを持ち続けることができるのが彼の特徴だと思います。私は映画監督の他に舞台監督の演出をやっていまして、彼のために二つの戯曲を書いているのですが、舞台の感想をお客さんに聞くと、他の人にないようなことを感じることができたと言ってくれるんです。それは戯曲のテーマが何だったのかを問わずに、彼がやってくれれば自然と伝わるものだという風に私は理解しています。彼は配役率からすればチェコではナンバー1で、彼を知らない人はいません」

--日本ではなかなかチェコの映画は上映されませんが、今回上映されることになっての感想は?

「実は今まで私の映画が2・3回くらい日本でも紹介されているんです。愛知万博のときにチェコ映画祭があって、2作品が上映されたんですよ。実はその内の1作では、日本のテーマにも触れています。そういうこともあって、私は日本とご縁があることを強調したいと思います。もちろん、東京国際映画祭とか、そういう大きな映画祭が私の作品に興味を示してくれることを切に願ってやみませんが」

--チェコでは日本の映画は上映されていますか?

「現役の監督さんでは北野武さんの映画くらいですかね。小津映画とかはマイナーな映画館で上映されたりします。『おくりびと』とかは入ってきてないみたいで、チェコではあまり話を聞いたことがないですね」

--将来的に作りたいと思っている映画の構想とかがあれば教えてください。

「ちょうど第二次世界大戦に入る直前のフランスの首相が飼っていたオウムを題材にした映画を撮りたいですね。それには歴史的な意味合いがあって、チェコがフランスに裏切られたことを映画にしたいと思っています。フランスの方に怒られるかもしれませんけど、そもそもヨーロッパで世界大戦が起こったのは1938年にフランスがドイツの要求に応えたからだと我々は考えているので。外交の問題だったり、色々のことを描いて、150歳を迎えたフランスの元首相のオウムに戦争のことを謝罪させるという不思議な感覚の映画を作りたいと思ってます。まあ、この映画の題材で、果たしてフランスがお金を出してくれるかどうか疑問ですけれど」

--映画を作る上で大切なことは何だと思いますか?

「やっぱり、常にひとつのテーマにしぼって作業できるかが大事だと思います。人間関係というのもなかなか重要で、原作を書いた人と監督、それから監督と編集者、それから監督とプロデューサーという三つの人間関係がうまくいかなければいい作品が生まれません。世界の優れた監督を見ればわかっていただけると思うんですけど、プロデューサー、編集者、原作者と監督が親友になって、生涯亡くなるまで3人と作業をし続けた監督は少なくないと思います」

--好きな映画監督は?

「ルイス・ブニュエルですね。あとはウディ・アレン。オリバー・ストーンの『プラトーン』も良かったです」

--チェコという国はご自身ではどういう国だと思っていますか?

「自分を疑うことができる人の国だと思います。それからあまり積極的でない国だとも思います。第一次、第二次世界大戦、または17世紀の30年戦争のときも、チェコは何かそれに対して反発しようとした国ではなくて、むしろそれを担いで我慢してきた国だったように思います。それから、観察力の鋭い人が住んでる国でもあります。哲学者など、優れた人を輩出している国でもあります。良い意味でハヴェル前大統領が良い例です」

--今回EUフィルムデーズのシンポジウムに参加してみてどうでしたか?

「限られた時間でどれだけヨーロッパ映画についての感想をもたれたのか難しいところです。恐らく退屈された方がいらしたんじゃないでしょうか。私が矛盾に思うのは、共通語が英語でありながらイギリス人が一人もいなかったことです。EUにとってこれは典型的な問題でしょうね。しかし、私はEUに対して反対しているわけではなくて、EUの概念は素晴らしいと思っています。しかし、政治の上ではうまくいけるようになったんじゃないかと思うんですが、文化レベルでは必ずしもそうじゃない。チェコの場合、EUに加盟したのが2004年ですが、その年以降チェコの政府の振る舞いはがらりと変わって、EU政府にコントロールされるようになりました。なんだか込み入った話になっちゃうけど、例えば、私はチェコのプロデューサーと契約をしていますが、プロデューサーと言うのは商売をやってるわけですから、自分に利益がなければなかなかサインしてくれません。『カラマーゾフ兄弟』のときも、プロデューサーにまでEUの影響が及んでいまして、EUの法律が非常に厳しいものですから、利益が五分五分でなければ駄目ということで割と良心的な契約を結ぶことになりました。もしあなたがEUからの資金を望む場合は、法的な条件に従わなければならないでしょう。それが文化交流の現実なんです」(2009/6/2)

『カラマーゾフ兄弟』場面写真