映像を読む (フィルムロジック)

 「キャスト・アウェイ」は、飛行機事故に遭った一人の男が無人島で四年間生活する物語だ。当サイトでこの映画を論じるのは、これで3回目になる。僕がこれを映画館で見た当時は、僕はあえてみんなとは別の視点から見ようと、映画のあら探しばかりやっていて、素直に映画を楽しもうとしていなかった。僕はまったくあの頃の自分が恥ずかしくてならない。

 先日、僕は5年ぶりにこの映画を素直な気持ちでもう一度見直してみたが、今度は本気で感情移入した。もしも自分が主人公と同じ状況に立たされたら、何を思って何をしたか、何度考えたかわからない。僕がかつて学生時代に無人島サバイバル倶楽部に入っていたことも共感した理由のひとつかもしれないが、何よりその無情さ、切なさ、怖さ、そして哲学に胸をうたれた。後半の生還してからのドラマもリアリティがあって身につまされるものがあり、映画を見終わった後もしばらく余韻が残った。今の僕なら五つ星をつけたところだろう。

 今回のフィルムロジックの題材は「映像を読む」こと。このテーマこそ、フィルムロジック永遠のテーマではないだろうか。「キャスト・アウェイ」は映像を読むにはもってこいの傑作ではないかと思う。構成もごちゃごちゃしておらず、余計なBGMなどは一切ない。ただ波の音、雨風の音だけが聞こえてくる中、一人孤独に生き抜く様を静かに描写した映画だ。ほとんどトム・ハンクスの一人芝居で、セリフもほとんどないのに、テンポ良く場面が進み、鑑賞者のイマジネーションを大いに刺激してくれる。物語は映像そのものが語ってくれる。映画は何と言っても映像があってこその映画。ぜひこれを見て、映像を読むことの楽しさを知って欲しい。


今回のテキストDVD

「キャスト・アウェイ」

 

※文中ネタバレあり!
まだ「キャスト・アウェイ」を見ていない人はご注意ください。









 「キャスト・アウェイ」は無人島に漂着した男の物語だ。トム・ハンクスがロビンソン・クルーソーよろしく、ひたすら一人で芝居をしている。無人島にいる間は、すべて彼の一人称の視点で描かれている。
 一人なので、セリフも少ない。ほとんどは無言だ。ロバート・ゼメキス監督は、映像だけで物語を語っていく。仮にセリフがあったとしたら、やたらと説明的だったり、不自然な演技になっただろう。無言であることがこの映画の格調を高めている、感心すべきは、きちんと無人島での生活のプロセスが映像だけで丁寧に描かれていることだ。さながら吹き出しのない漫画のような感じである。左の3枚の写真だけでも立派な漫画になる。
 無人島に流れ着いてから4日目、主人公はカニを食べようとするが、カニの肉がどろどろで、生のままではとても食えたものじゃない(1枚目の写真)。そこで彼は初めて火をおこすことを思いつく。漂流ドラマを真似て、木片に棒きれを両手でぐりぐりとこすりつけてみるが、ちっとも火がつかない(2枚目の写真)。夜になり、また朝になる。丸一日続けて彼はついに諦める。空腹だが、何も食べるものがないので、残ったココナッツの内側の白い部分をしぶしぶ食べることにする(3枚目の写真)。ココナッツを石でごしごし削っているうちに、彼は木を縦にこすることを思いつく。このようにして彼はついに火をおこし、生き延びていくのだ。
 映像だけで物語を読む。これこそ映画の原点である。この映画には「4年後」という字幕も出てくるが、僕はむしろその字幕すら必要なかったのではないかと思う。髭もじゃになった男を見れば4年くらい経ったことは観客にも一目でわかるからだ。




 「キャスト・アウェイ」は小道具も面白い。時間ばかり気にして生きてきた男が、時間のない世界にいく物語である。便利なはずのポケベルがきっかけで事故に巻き込まれ、ポケベルなど何も役に立たない島に流れ着く。主人公はフェデックスの社員。フェデックスは現代人を象徴している。彼らの仕事は人と人を繋ぐこと。ところが無人島には何もつながりがない。この逆転の発想がうまい。

 フェデックスの荷物も島にいくつか流れ着くが、最初は主人公も助かると信じていたため、荷物をあけようとしなかった。仕事第一人間だったからだ。しかし、誰も助けはこないと悟ったとき、彼はついにその箱を開けてしまう。中身はどれも一見なんの役にも立たなそうなものばかりだが、実はすべてに意味を見いだせる。小道具マニア必見だ!

流れ着いた物





・スケート靴
刃物の部分をナイフ、鏡、筆記具として使用する。靴ひもも利用する。非常に便利な物なのでご都合主義的かもしれないが、墜落したのがクリスマスシーズンなので、贈り物として説明が付く。
・離婚届
まったく意味のない荷物にも見えるが、ラストに登場する天使の羽根の女性に対する伏線になっている。実にさりげない伏線である。本作にはこのような伏線が多数発見できる。
・バレーボール
最も役に立たなそうなものだが、主人公はこれに自分の血を与えることで、たった一人の話し相手を得た。火のようにあたたかい相棒。ぴくりとも動かないのに、なぜかこのボールは我々観客の目にも感情を持っているように見えてくる。主人公とボールは、あまり仲が良くないところがミソ。喧嘩もよくするけど、彼にとってはたった一人の友達だ。ボールに話しかけるのは一見おかしな感じがするが、このボールがあったからこそ、彼は正気を保てたことになる。
・天使の羽根が描かれた箱
彼はこの箱だけは開けることを思いとどまった。おそらく、開けてしまったらそこで何もかも終わってしまうと思ったのだろう。開けない限りは彼の人生には続きがあることになる。彼にとってはお守りのようなもの。この箱が、この映画の最も重要なキーとなっている。中身が何かは問題じゃない。開けなかったからこそ、この箱には目に見えない力が宿った。








 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」以来、ロバート・ゼメキス監督お得意の見せ方が、前のシーンと後のシーンを対比させて描く演出法である。「キャスト・アウェイ」にはそういった対となる映像が多く、2つのシーンの意味の違いを読むことで、映画は何倍も面白くなる。
 最もわかりやすいのは、主人公の恋人の写真が入った時計の描き方である。上の写真は無人島、下の写真はホテルでの映像だ。無人島では懐中電灯を点けたり消したりして写真を眺めていたが、ホテルではベッド脇の床に横たわってライトスタンドを点けたり消したりして写真を眺めている。同じような映像でも、主人公の抱く感情はまったく意味が異なっている。
 無人島にいたころは、恋人の写真を見て生きてきたのに、生還したときには、恋人には夫も子供もいた。無人島ではいつも主人公のそばにいた恋人が、故郷にいる今はそばにはいない。彼には帰る家さえない。彼のドラマは無人島から脱出した時点で終わっていたのではなかった。ここが「キャスト・アウェイ」のリアリティである。



 「キャスト・アウェイ」が面白いのは、最初のシーンと最後のシーンが対になっていることである。最初のシーンがあまりにも些細な出来事を描いたシーンだったために、普通の観客なら映画の途中で最初のシーンのことなど忘れてしまっているはず。しかしこの映画の最後にはある仕掛けが用意されていた。こうして写真を対比させてみると、この映画の主人公の明るい後日談も想像できよう。ロバート・ゼメキスは、こうして観客に見終わった後もあれこれと想像させるヒントを残しておくことがうまい監督だ。




十字路
左写真が一番最初のシーン。右写真が一番最後のシーン。最初と最後が同じ場所、同じアングルになっていてまとまりが良い。最初のシーンでは車はフェデックスの社用車、最後のシーンでは主人公の私用車になっている。主人公は個人的な理由でこの地にやってきたわけだ。




 
ディックとベティーナ
左写真は最初のシーンで訪れる家。ゲートには「ディックとベティーナ」という名前が掲げられている。右写真は最後のシーンで訪れる家。ゲートの文字は一部たたき壊されており、「ベティーナ」という名前だけが残っている。





趣味はプレスリー
左写真はある女性からフェデックスの社員が「羽根」の描かれた荷物を最初に受け取るシーン。画面隅にはエルヴィス・プレスリーのCDが見える。右写真は主人公が「羽根」の描かれた荷物を送り主に返しに行くシーン。車の中で聴いている音楽はエルヴィス・プレスリーである。





「カウボーイ」
左写真はフェデックスの社員が最初に荷物を届ける家。カウボーイ姿の男が愛人らしき女と一緒に出てきて、妻からの荷物を受け取っている。右写真は主人公が映画の最後に出会う女性。後半では彼女だけが唯一人笑っている人物である。女性は主人公のことを「カウボーイ」と呼ぶのだった。



 トム・ハンクスは本当に凄い。現役俳優では実力ナンバー1の名優だと断言できる。彼は最近では他にも「グリーン・マイル」、「ロード・トゥ・パーディション」など、多数の名作、ヒット作に恵まれているが、ほとんどその全てを一人芝居だけで表現した「キャスト・アウェイ」は、彼にとって、最も重要な映画となった。彼の演技には心がある。彼の表情は、セリフよりも多くのことを語っている。言葉ではとても表せない複雑な気持ちが痛いほど伝わってくる。




辛い日々
僕が「キャスト・アウェイ」を見て、ゾッとしたのは、主人公が虫歯を持ったまま事故に遭ってしまったことだ。何もない島で毎日裸で野宿して、ただでさえ無茶苦茶な状況なのに、さらに虫歯とはどうしょうもない。歯が痛くとも、誰も治療してくれない。これほど残酷なことがあっただろうか。まだホームレスの方が増しである。トム・ハンクスのこの顔の表情は痛々しくて、とても見ちゃいられない。この映画を見て笑う人も多いが、そういう人は、主人公に感情移入ができなかったのだろう。主人公の気持ちになってみれば、何一つ笑えるところなどない。あまりにもシビアな内容である。





進水式の前夜
大決心し、いよいよ筏に乗って無人島を離れる前日の夜。怖くて眠れない様子だ。この気持ち、よくわかる。おそらく彼はこの時頭の中では数え切れないほどたくさんのことを考えていたに違いない。故郷のこと。無人島でのこと。今までのこと。これからのこと。このまま残っていれば長生きできるが、何も変わらない。島を出れば希望はあるかもしれないが、この広い海に飛び出すのは死ぬようなものだ。この勇気は賞賛に値する。





見納め
沖から遠くに見える無人島を見つめる主人公の表情。この時も様々な思いがよぎっていたに違いない。主人公はここで一気に涙がこみ上げてくる。初めて見せる涙だ。
「キャスト・アウェイ」にはサウンドトラック用の音楽が1曲しかなく、このシーンまではバックには波の音と風の音と雨の音しか聞こえなかった。その1曲が、ここにきて初めて流れる。感情移入している観客なら、ここで涙しないわけがない。静かな感動を与えるシーンだ。





出迎えてくれる人はいない
救助されて、4週間後、待合室にて。恋人と再会する予定だったが、そこに現れたのは恋人の夫(しかもよりによって自分の歯医者!)だったというシーン。そうとうショックだっただろう。言葉を失っている。後半「子供はいっぱい作った方がいい」というセリフがあることからも、彼には迎えに来てくれる家族がいないことがわかる。彼は今も孤独だ。





虚しいパーティー
フェデックスの社員とパーティを終えてからの主人公の表情。社員たちは皆彼のことを歓迎してくれてはいるのだが、ジョークを飛ばしたり抱き合ったりしていても、そこにはどこか虚しさを感じさせる。また、パーティに出された食事が寿司、カニと、食料集めにいつも苦労していた彼が4年間食べてきたものばかりというのも皮肉だ。ご丁寧にテーブルにはライターまでおいてあった。窓の外から聞こえてくるサイレンの音も虚しい。





運命が引き裂いた仲
トム・ハンクスは、横でじっとヘレン・ハントの顔を見つめている。僕はこのシーンを見ても胸がしめつけられる。彼は4年間毎日毎日、彼女の顔を見て生きてきた。彼女に会いたくてたまらなかった。しかしもう彼女は自分の恋人ではない。この時、彼は彼女を前にして、たまらなく彼女が愛おしいものに見えたに違いない。事故の直前に彼は彼女に何かをプレゼントしていたが、それが何かは観客にはわからない。あのとき、仕事のポケベルに出てさえいなければ、今ごろは彼女と結婚して幸せに生活していただろう。





最後の別れ
このトム・ハンクスの顔がたまらない。ヘレン・ハントに別れを告げるときの表情だ。あらゆる感情を内面に秘めた表情である。この笑顔からは、複雑な思いが感じ取れる。このまま時間が永遠にとまってくれたらいいのだが、そうもいかない。感謝しているが、もう二度と会うことはないだろう。そうした心の葛藤が見えてくる。言葉には何とも言い表せないこの苦しさ。切ないラブストーリーである。トム・ハンクスは本当に名優!





息をして生きる
「これからも息をして生きればいいだけだ」と、トム・ハンクスが救助されてから初めてセリフらしいセリフを語るシーン。4年前まではとにかく時間ばかりを気にしてせわしく生きてきたのに、ここでの表情はそれとはまったく対比的である。映画前半は忙しくカメラが動きまわっていたのに対し、ここではワンシーンワンカットの長回しで静かに見せている。彼に共感できた観客にとっては何よりも応えるシーンだ。





その目にうつるもの
これがラストカット。無人島にいたころと同じく、見渡す限り主人公のまわりには何もない。しかしどちらでも好きな方向に行ける。彼は人生の岐路を自由に選べるのである。
内面の感情をじわじわと表面ににじみださせるトム・ハンクスのカメラ目線の映像は、今後は何をして生きていこうかと途方に暮れているような表情にも見えるが、よく見ると、微笑んでいるようにも見える。彼は女性の家の方向を向いて立っている。その後の解釈は観客次第。僕はこの表情から希望を見た。自分のやりたいことができるという希望が。人生そのものを象徴するラスト。映画を見終わった後もぐっと余韻を残す。やはり「キャスト・アウェイ」は、近年稀に見る大傑作だ。



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