スパイダーマン2にみる精神分析 (フィルムロジック)

 2004年、「スパイダーマン2」が大ヒットした。荒唐無稽のアメコミのヒーローものが、どうしてあそこまで受けたのであろうか。おそらく、登場人物の人間性に焦点を当て、じっくりと心理を描いているからであろう。この脚本を書いたのは「普通の人々」、「ジュリア」で知られるアルヴィン・サージェントである。サージェントの深い心理描写が、サム・ライミの描くアクション・シーンをぐっと引き立てているのだ。
 今回のフィルムロジックでは「スパイダーマン2」を見ながら、精神分析学における7つの無意識的な心の働きをもとにして、映画の中の心理描写の意味を読んでいきたいと思う。精神分析を作品に盛り込む監督といえば、少々ねちっこいピエロ・パオロ・パゾリーニなどのイタリア人監督に熟練者が多いが、こうした描写はアメリカ映画が長年不得手としてきたことである。しかし「スパイダーマン2」は、実にそれをさらりとやってのけているので、わかりやすく、研究しがいがある。
 なお、精神分析の用語には難解なものが多く、書籍によって書かれている意味にも大きな違いがあるが、ここでは最近出版された「精神分析がおもしろいほどよくわかる本」(河出書房新社)を参考にしている。

 逃避とは嫌なことから逃げたいという無意識的な心の働きである。例えば、学校に行きたくないと思っていたら、逃避の心理が働き、本当に腹痛を起こしたりする。
 ピーター・パーカーは自分がスパイダーマンであることに様々の悩みをかかえている。大好きなMJの恋人になれないのも自分がスパイダーマンであるからだ。ピーターは自分では意識していないが、「本当はスパイダーマンにはなりたくない」という思いが潜在意識にあるため、とうとうスーパーパワーを失ってしまう。パワーがなくなれば悩まなくてすむからだ。これが逃避である。






 隔離とは、自分の心の安全をはかるための防衛規制のひとつで、無意識的に見なかったことにする心の働きのことである。
 ピーター・パーカーは大好きなMJが別の男とイチャイチャしているところを目撃する。このとき、道路をパトカーが通り抜けていくが、ピーターはパトカーには見向きもしないほどショックを受けている。その後、ピーターはこのことを考えないためにも、MJを見なかったことにするのだが、隔離の働きが不十分なため、情緒が不安定になってしまう。






 打ち消しとは、物事をリセットしてやり直そうという心の働きである。その背景には、うまくいかないことへの欲求不満を解消しようとする防衛規制が働いている。
 ピーター・パーカーはスパイダーマンになったことで苦しめられることになるが、その不満をかき消すため、ついにスパイダーマンであることをやめてしまう。つまり人生をリセットするわけだ。これが打ち消しという心の働きである。気持ちを入れ替えたピーターの表情は、実に爽やかである。






 昇華とは、満たされない衝動(例えば性欲)を価値ある行動に移し替えることで、精神の安定をはかる無意識的な心の働きである。
 おじを自分の責任で死なせたトラウマを持つピーター・パーカーの物語は、まさしく昇華の物語と考えてよい。抑えきれない不満を、ピーターはスパイダーマンとなって正義のために戦うことで発散しようとする。
 しかし、スーパーパワーを失ってから、道ばたで誰かが暴力を受けていても見て見ぬふりをしなければならなかったピーターは、しだいにやるせない気持ちになってきて、とうとう燃えさかるアパートに取り残された少女を助けるため、炎の中に突進してしまう。






 合理化とは、自分自身に言い訳し、自分をいいくるめることである。例えば何かに失敗しても、失敗してよかったのだと自分に言い聞かせることで、心の安全をはかることができる。
 「スパイダーマン2」の悪役ドック・オクは、自分の研究の失敗が原因で、愛妻を死なせてしまうが、それでも研究を続ける。銀行から金を盗んでまでして研究費に注ぎ込むのである。ドック・オクは「研究をやめることこそ犯罪だ」という風に自分を合理化しているのである。ドック・オクは確信犯なのだ。
 よくアニメを見ていると、自分の姿をした白い天使と黒い悪魔が口論するシーンを見かけるが、ドック・オクの心理描写はあれとよく似ている。






 抑圧とは、嫌なことにフタをすることである。無意識的にただフタをしているだけなので、潜在意識には残り、いつフタをしたものが飛び出すかはわからない。
 MJはピーター・パーカーに一度振られたことがある。別の人と婚約することで「私が今好きなのは婚約者」と自分に言い聞かせてピーターのことにフタをしているのだが、心の中ではまだピーターに未練がある。ラストで「始めから誰だかわかっていたような気がする」と言っているように、すでにMJは無意識的にピーターがスパイダーマンであることになんとなく気づいているはずだが、MJが婚約者にしてみせた上下逆さまのキスは、まさにフタの中の思いが表に飛び出してきたことを示唆している。






 同一化とは、人が何かを愛するがあまり、その何かと一体化してしまう心の働きである。
 「スパイダーマン2」では、ピーターの親友にこの傾向が見られる。ピーターの親友は父親を愛するがあまり、とうとう父親と同一化してしまうのである。彼は鏡に映っている自分を見て、それを父親と信じ込むのである。サム・ライミはこのシーンを、一瞬だけ多重映しで見せており、わかりやすい。





 このような心理描写は我々はほとんど直感的に知覚しながら見ていることになる。今回の精神学的解釈はあくまで心理ゲームみたいなお遊びでしかないが、こうしてじっくりと意識的に登場人物の気持ちを考えてみると、スパイダーマンとドック・オクの壮絶な戦いも、また違った印象に見えてきて面白い。これもひとつの映画の見方である。

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