俯瞰/ロング・ショット (フィルムロジック)










 俯瞰(フカン)とは、水平よりも下方向を見下ろした映像のことである。英語ではハイ・アングルと言う。アオリ(ロー・アングル)に比べて、あまり使うことのない技法である。
 ロング・ショット(ロング・サイズともいう)とは、人物・場所を遠くから撮った遠景の映像である。もちろん俯瞰で撮られているとは限らない。
 ここでは俯瞰とロング・ショットがどういう状況で使われ、どのような意味があるのかについて書いてみた。

 

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■俯瞰は状況説明でしかない

 俯瞰の映像が意味することは、ズバリ「状況説明」このひとつに尽きる。映画はもともと見上げて鑑賞するものなので、俯瞰の映像だと印象が弱くなる傾向がある。俯瞰は被写体が小さく見えて登場人物の配置が一目でわかるので説明的・客観的映像だといえる。スポーツ中継やビデオゲームなどに俯瞰の映像が多いのは、見る者に早く情報を伝えるためである。

 以前カメラマンだった僕も、なるべく大勢の客を撮っておこうという気持ちがあって、ハイ・アングルを余儀なくしたが、今思えば、あれはつまらないアングルだったと思う。ハイ・アングルの写真は見た目がうるさかったり、被写体が弱くなったりして、あまり締まりがよくなかった。俯瞰=状況説明でしかないということを知っていたら、僕はわざわざ俯瞰の写真を撮らなかっただろう。

 シーンの頭に俯瞰を持ってくることがあるのは、最初のうちに状況を解説しておくためである。エスタブリッシング・ショットというのはこのことである。先に状況設定ショットを持ってくる技法は、アメリカ映画の父と言われたD・W・グリフィスが提唱したものである。クレーン・ショットが使われることも少なくない。念のために記しておくが、エスタブリッシング・ショットは俯瞰やロングだとは限らない。

  俯瞰のもう一つの役割として、登場人物の見た目の映像を表現することがある。たとえば崖っぷちで今にも落ちそうな主人公の見た目や、地面に書かれてある文字に気づいた主人公の見た目など。ただし、これもストーリーを説明するためのひとつの手段でしかない。

  写真1の「サイコ」の映像は、容疑者が外の様子をうかがっているところである。映像が容疑者の見た目になることで、観客と容疑者の感情移入を一瞬だけ計ることができる。

 「サイコ」からはもうひとつ。写真2は有名な殺人シーンの1コマである。これは真上から撮っているが、理由は殺人鬼の顔を見せないためである。左の階段がちょうど吸い込まれそうな感覚を醸し出しているため、不気味な映像に仕上がっている。


 


 

写真1
「サイコ」
登場人物の見た目の映像

 

写真2
「サイコ」
殺人鬼の顔を見せないアングル

■俯瞰の映像は客観的なもの

 しゃがんだり、寝そべったりした人物を撮れば、黙っていても下向きの映像になる。ここで俯瞰の映像が「客観的」であることは覚えておいて損はないだろう。また、俯瞰で撮られた被写体は、どことなく「弱さ」を感じさせる。

 「市民ケーン」は俯瞰の特性をよく理解した作品である。写真3は冒頭に入るドキュメンタリータッチの映像からの1コマである。かつての大実業家が、報道カメラの餌食となり、晩年の寂しい姿を激写されている様子である。望遠レンズの平らな画質、カメラのブレがさらに映像に実話性を与える。俯瞰であることが、主人公の日常を「覗き見ている」気分にさせ、なおかつ主人公の無力さを強調するのである。

 ベッド・シーンでは、アップよりも、遠くからの俯瞰のショットが、観客により性的興奮を与えるような気もする。これは俯瞰のカメラが、「覗き見ている」気分にさせるからだろう。

 次に「四十二番街」のダンスショーの映像を見ていただきたい(写真4)。これは真上から真下を捉えたカットである。我々の実生活では、真下を見る機会は滅多にないので、この映像は非常にユニークである。横から撮ってもいいものだろうが、敢えて真上から撮った理由は、レイアウトの映像的な美しさ・奇抜さを出したかったからだと思われる。

 映像美のための俯瞰というのは、野心的な映画作家が突然思い出したように見せてくれたりする。あのマーチン・スコセッシも「カジノ」で真上から挑戦したことがあったが、前後のカットとの関連性が浅く、いまひとつであった。極端な俯瞰のカットは、意味も考えて、もっと慎重にやるべきである。

 余談だが、チャップリンのカメラは全く逆の意味で興味深い。サイレント時代、トーキー時代の作品を含めて、ほとんどのカットは真っ正面から水平アングルで撮ってあった。カメラの傾け方次第で、登場人物の力関係とか心のあり方とかを感覚的に表現できたはずなのだが、チャップリンは演技だけでそのすべてを表現していたのである。


 


 

写真3
「市民ケーン」
覗き見ているイメージ

 

写真4
「四十二番街」
映像美のための俯瞰

■俯瞰とロング・ショットの傑作

 俯瞰の映像にかけては、ロバート・ワイズ監督の右に出るものはいない。ワイズは「ウエスト・サイド物語」と「サウンド・オブ・ミュージック」(写真5)のオープニングにヘリコプターから撮った俯瞰の遠景映像を持ってきた。ワイズの俯瞰が素晴らしいのは、景色が絶えず動いていること。「サウンド・オブ・ミュージック」では美しいオーストリアの大自然の風景が右から左へと流れるように動いて行く。何度も景色は変化するが、モーションが絶妙なため、カットとカットのつなぎ目は気にならない。

 ロング・ショットについては、僕の独断と偏見で「バリー・リンドン」をオススメする(写真6)。ロング・ショットだけでなく、ズーミングを学ぶにももってこいの1本である。なぜならほとんどのシーンがズーム・ショット、ロング・ショット、フル・ショットで形成されているからである。顔のクロースアップから全景のショットまで、ズームの距離が長い。おそらくカメラは水平位置で固定されている(つまりハイでもローでもない)。僕が思うに、ズームやロングが沢山用いられているのは、叙事詩的・韻文的な意味合いを込めたかったからではないだろうか。映像は美学の域に達しているといってよく、見応え充分である。なお撮影監督のジョン・オルコットは同作でアカデミー賞の撮影賞を受賞した。

 最後になったが、劇的な音楽に乗せてロング・ショットで幕を閉じる見せ方は、昔からの映画の常識のひとつになっていると思える。なぜロング・ショットで終わる作品が多いのか? それはまた別の機会で・・・。自分で理由を考えることが映像に興味を持つことの原点だね(エラそうだなあ)。
 

 
 

写真5
「サウンド・オブ・ミュージック」
名場面となった俯瞰の映像

写真6
「バリー・リンドン」
美学に達したロング・ショット



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