100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


ディゾルブ・多重露出 (フィルムロジック)









 「ディゾルブ」とは、前の画面に後の画面がダブって出てきて、しだいに前の画面が薄くなって、やがて後の画面に変わることである。テレビ業界でよく使われる言葉だ(映画業界では「オーバーラップ」「ダブル」とも呼ばれる)。映画の句読法のひとつで、シーンの移行、回想シーンへの転換、時間経過の表現などの効果がある。

 たとえば、ランチを食べる前の映像と、食べ終わった後の映像をディゾルブし、食べている時間を省略させる。これはあくまでひとつの見せ方だ。

 アルフレッド・ヒッチコックのようにディゾルブの達人もいれば、小津安二郎のように最初からディゾルブを使う意志のない作家もおり、その表現方法は多種多様である。

 右上の映像はチャップリンの「殺人狂時代」のディゾルブを擬似的に表現したものである。主人公が薬剤師の友人に毒薬のことについて尋ね、さっそく隠れ家に帰って毒薬を調合するという筋書きである。
 ここでは、場面から場面へ移行するとき、間に列車の車輪の映像とエッフェル塔の映像を挿入することで、時間と距離をまとめてスキップさせている。列車の車輪は場所の転換を意味すると共に、主人公の多忙ぶりを表している。エッフェル塔は主人公が隠れ家に帰ってきたことを意味し、続く室内の映像へと自然につながるのである。
 チャップリンはフェードアウト・フェードインも好んで使った監督だが、手法が至ってシンプルなので、実にわかりやすい。「殺人狂時代」は株が暴落するシーンでの喧噪感の見せ方も興味深いので、一見の価値ありだ。





「殺人狂時代」
監督:チャールズ・チャップリン

■上の映像が表示されない場合は、マクロメディア・フラッシュ・プレイヤーをダウンロードしてくだい。
フラッシュ・プレイヤー
ダウンロード



キャプラ・タッチの秘密はディゾルブ

 ちなみに、僕が「演出者」として最も尊敬している監督はキャプラである。キャプラといったら、ストーリーが第一で、映画芸術だの撮影技法だのとは縁が無いような印象があるが、それは大間違い。キャプラの作品はまさしく映画的文法とキャメラワークに裏打ちされており、あまりに技が自然すぎて、気づかせないすごさがあるのである。ディゾルブに関してもキャプラが一番うまいし、あの「キャプラ・タッチ」も編集技法に秘密が隠されているのだ。





■わからない用語はこちらで調べてください。


 「群衆」は、そんなキャプラの類い希なる演出力を存分に堪能できるお薦めの一本である。カットつなぎが実になめらかで、シーンからシーンへ流れるように移り変わっていく。そこには何かしら映画的テンポがある。ゲーリー・クーパーが初めて登場するシーンは、「こんな登場の仕方があったとは」と、うなるほど絶妙。すべてのシーンが微笑ましく、役者たちの表情の変化(前のカットと後のカットの違いの変化)を見ているだけでも感動がある。その演出力には惚れ惚れするばかり。
 キャプラは新聞の印刷機の映像をディゾるのが得意だった。キャプラは新聞を自分のシンボルにしていたのかもしれない。(キャプラは新聞の他にもよく鐘をモチーフにしていた)
 「群衆」でもやはり新聞がディゾルブに使われている。右写真の例は新聞記者が記事を書いている映像に新聞の映像が重なったもの。続くカットからは、新聞が山のように売れていくイメージが次々と重ねられていく。キャプラのディゾルブがすごいのは、重ねられる被写体そのものがスピーディに動いていること。シチュエーションをわずか1分のうちにダイナミックに表現させている。





「群衆」
監督:フランク・キャプラ


前の映像と後の映像の結びつきを考える

 ディゾルブは非常によく使われる技法である。トランジションとしては、おそらく最もポピュラーなものだろう。ただし、ディゾルブをするからには何かしらの意味がある。意味のなさそうな一様なディゾルブでも「カットを柔らげる」という役目を果たしている。しかし、そういった理由だけでやるのがディゾルブではない。

 ソ連のモンタージュ作家たちはそういう杓子定規なディゾルブに変化を持たせた。アメリカでもオーソン・ウェルズが「市民ケーン」で、ほとんどのカットにトランジションを使い、映画の「見せ方」の常識を塗り替えた。

 右の例だが、ずたずたの回想シーンで構成された「市民ケーン」(「画像1~3」の上にマウスカーソルを持っていくと画像が変わります。クリックはしないでください) は、光と陰の関係を理解しており、見事なまでの場面転換を見せる。数ある映画の中でも、これほど場面の移り変わりが面白い映画はない。なお同作では、気づかないところで沢山の合成映像(多重露出とは区別する)が使われており、とても当時の編集技術では考えられない荒技をやってのけている。きっとオプティカル技術の極致を知ることができるだろう。

 もうひとつの例は、エイゼンシュタインの「ストライキ」(写真)。ユーモラスな二重写しが至る所に散りばめられた同監督初の長編映画である。右写真では、ブルドッグの映像の後に、お巡りの映像が現れる。それに続くカットでは、ご丁寧に字幕で「ブルドッグ」と説明付き。他にも「フクロウ」や「猿」など、様々な動物たちが人間ともじられ、同作は一貫して「映像を見るための映画」となっている。








「市民ケーン」
監督:オーソン・ウェルズ
 




「ストライキ」
監督:セルゲイ・エイゼンシュタイン

多重露出の映像がシーンを盛り上げる

 「多重露出(露光)」は2つ以上の画面を重ねること。これは極めて映画的な演出である。なぜなら、演劇や小説では普通はできない。ゆえに映画誕生期には面白がられてよく試された。フランスの奇術者ジョルジュ・メリエス(左写真)は、多重露出に最初にこだわった男として、幸運にも映画史に名を残す偉人となる。

  多重露出でありがちなのが、亡霊の映像。役者の映像を半透明に見せる技法だ。実際メリエスやドイツ表現主義派の作家たちもその技法を使った作品を残している。

 やがて、多重露出という効果そのものが、作品のシチュエーションを表現するようになるが、その確固たるひな形を形成したのが、やはりソ連のモンタージュ作家たちである。フランスのルネ・クレールもまた、アバンギャルドな作風で観客を戸惑わせている。しかしそれらは実験的な意味合いが強いものばかりだった。

 多重露出のシーンを見事に映画の一部として溶け込ませ、かつシチュエーションを盛り上げることに成功した最も偉大な人物は、ヒッチコックだろう。彼のテクニックは真新しく、洗練されていた。そして何より多重露出の映像がその場面に無くてはならないものとなっていた。
  彼のサスペンス第一作となった「下宿人」(写真)はその意味において最も衝撃的であった。二回の部屋で容疑者がうろうろしている様子が、下の階から天井を透き通して見える(多重露出)というもので、サイレント映画でありながら、足音が聞こえてくるような感じであった。

 ヒッチコックを尊敬するスピルバーグは、初めての本格的な長編映画「激突!」を作るとき、構図から何まで、野心的に色々なことを試している。そして当然のこと、多重露出にも手を出している。それが右の写真である。高速で走り抜けるスピード感ある映像に、不安げな主人公のクロースアップをかぶせることで、より恐怖感をかき立てさせたのだ。

 最後に紹介するのは名作「嵐が丘」(写真)。山の向こうの方に二人の主人公が半透明になって見える。これは先ほど書いた亡霊の手法であるが、ラストシーンに多重露出を使ったものとしては、たぶんもっとも感動させられる出来栄えである。






「下宿人」
監督:アルフレッド・ヒッチコック


「激突!」
監督:スティーブン・スピルバーグ


「嵐が丘」
監督:ウィリアム・ワイラー

 このコーナーでは、これからもさらに深く映画を研究していきます。サイトの名物として、ますますパワーアップしていくフィルムロジックにこうご期待!

オリジナルページを表示する