構図 (フィルムロジック)
Lesson 15
構図
今回は構図について研究してみよう。ただの映画ファンの僕が構図について語るなんて、自分でも偉そうな気がしてきたけど、一年前にスナップ・カメラマンをやっていたので、そのときに学んだことを書きたいと思う。
僕にカメラを教えてくれた師匠(?)は、構図については何も教えてくれなかった。師匠が教えてくれたのは、信念とか心構えだけだった。とにかく自分でセンスを身につけるしかなかった。だから僕はたまに絵画集・写真集を見て勉強していた。
写真の見えないライン
写真には、ある程度の基本がある。右写真はロバート・フランクが撮った写真だが、例のように縦と横に均等に2本ずつラインをイメージして、それを基準に被写体に近寄って構図を定めれば、初心者でもバランスのいい写真が撮れることになっている(近寄る理由は、余計なものを写さないことと、遠近法で平面な映像を立体的に見せるため)。しかしこうすれば必ず構図がよくなるというわけではない。広角か望遠か、水平線か対角線か集中線か、三角形か逆三角形か、構図の取り方は様々な要因で変わってくる。
写真の場合、縦位置撮りも可能だし、トリミングしても問題はないが、映画ではサイズが決まっているので、あまりそういう遊びができない(正方形スクリーンの「華氏451」のように例外もある)。また、役者もカメラも好きに動かせるが、だからこそ難しいのだ。
スクリーン・サイズ
映画にはいくつかのスクリーン・サイズがある。下の図はその代表的な3タイプだ。スタンダードサイズはテレビのサイズとほぼ同じである。ワイドになると、コンポジションが独特になってくるが、テレビ放映されるときにトリミングされてしまうので、そのことも計算にいれておかなければ台無しになってしまう。それぞれのサイズにあった、うまい構成を心掛けたいものである。
映画作家の中には、チャールズ・チャップリンのように、ワイドスクリーンを嫌うものもよくいるが、それは彼らが構図のどうこうを重要視してなかったからである。映像がよくできていても、つまらないことはあるのだ。映画の質が映像の善し悪しに左右されるものではないということも、ここで合わせて頭に入れて置くべきだろう。
絵画と映画の比較
僕は映画ファンなので、美術館にいっても、映画的な構成の絵画ばかりに目を奪われてしまう。図書館でも色々見たが、「映画的」という意味では僕が特に感銘を受けた画家はフェルメールとセザンヌだ。フェルメールはまさしく映画を見ているような構図である(ただしフェルメールの作品の大半は正方形だ)。どの作品も室内の絵だが、壁の位置と奥行き感が映画と似ている。それも、三脚を使って撮影した映像を思わせる。次に来るカットは、男性のクロースアップかな?
セザンヌをここに引用するのは、おかしいかもしれないが、僕の個人的な意見では、彼の構図は映画的だ。
ここで気付くのは、構図と色遣いが密接に関係していることである。絵画はカラーが主流だ。カラーだと何となく動きが止まって見えてしまうものだが、絵画の場合は、色は塗って着けるものなので、作家の思い通りに色を塗ることができるし、構図も自由に変形できるから、色遣いと構図を上手い具合にコントロールしてマッチさせることが可能だ。
ただし、映画では映像の色を変えることは難しいし、カメラにも焦点距離などの制約があり、思い通りの構図が定められない。頭に思い描いた映像と実際に撮った映像がずいぶんと違ってくるのは、このためである。
黄金分割
最後におまけでもうひとつ、黄金分割について。昔の彫刻や絵画から、こういう黄金比といわれる美的比率が利用されてきた。この比が人間にとってもっとも調和のとれた比に見えるらしいのだ。この黄金比を利用して構図を決めてみるのもいいかもしれない。
ただし、これは頭に入れておく必要はない。こういうのもあるんだな、という感じで、読み流してもらいたい。なぜなら、黄金分割は我々の日常のいたるところで見られるからである。知らず知らずのうちに、我々は黄金分割を利用している。例えば本の用紙サイズ、あれは黄金分割だ。あなたが今使っているデスクの縦横の長さもひょっとしたら黄金分割かもしれない。無意識に黄金分割を利用しているので、自然と体が覚えていることだろう。だから意識する必要はない。
それではお次は、名作を引用して構図のノウハウについて研究しよう。
「第三の男」(監督:キャロル・リード)
「第三の男」は一流の娯楽映画であり、映像芸術としても高く評価された傑作である。白と黒のコントラストが構図と解け合って絶妙であるが、更に興味深いことに、ほとんどの映像のフレームが傾いている。ふつうの映画なら水平だが、この映画はそのルールを破った。傾いていながら、構図はしっかり定まっており、パースペクティブが生き、調和がとれている。少しもわざとらしくなく、ガクガクしてない。そこがこの映画のオシャレなポイントである。
「戦艦ポチョムキン」(監督:セルゲイ・エイゼンシュタイン)
ダイナミックなカッティングに定評のあるエイゼンシュタインの映画は、止まった写真だけ見ていても真の迫力は伝わらないだろうが、敢えてここに引用させてもらった。この構図が示しているものは、大と小の対比である。群衆たちは小さく、砲台は大きく、いずれも象徴的だ。レンズと被写体の距離が構図とシーンの意味合いに密接に関わっているのである。この対比的な映像が、モンタージュを形成するモチーフとなる。
「道具方」(監督:チャールズ・チャップリン)
チャップリンの映画のカメラワークはいたってシンプルである。ほとんどのショットはチャップリンの全身を写した固定のフルショットだ。鑑賞者はチャップリンがその場でどういうアクションを取るのかを見ていればいい。チャップリンは、カメラがでしゃばるべきではないと考え、演出はあくまでもカメラの前でやった。彼にとって、映画の面白さは、構図がどうこうではないのである。
「2001年宇宙の旅」(監督:スタンリー・キューブリック)
キューブリックは一貫してHALを幾何学的に左右対称正面から捉えてシーンに調和を持たせている。奥にHALが見える左写真では、ハッチの壁がフレームの役目になり、歪曲したシネラマの大画面に閉ざされた雰囲気を演出した。
「サイコ」(監督:アルフレッド・ヒッチコック)
ヒッチコックの構図は素晴らしい。ローアングルのこの構図はノーマン・ベイツの性格を的確に表現している。後ろに配置された悪趣味な剥製が象徴的だ。テレビ放映では左右が切り落とされて、この効果がなくなってしまうのが残念である。
構図はとても難しい。カメラを持っている人なら、部屋の壁を邪魔に思ったことが一度はあるだろう。ホーム・ムービーの場合、ふつう広角レンズがついてないので、なおさら難しい。プロの映画の素晴らしいところは、構図がきちんとしているのに、カメラワークを意識させないことだが、アマチュアの場合(僕も含めて)、空間に無駄が多かったり、画面が平べったかったり、意味のない遠近感があったり、妙にめまいのするアングルだったり、悪い点だけがはっきりと見えてくる。またアマの作品は画面がとにかく暗い。暗いから構図にアクセントがない。これは構図を知る前に、照明について勉強しておく方が先決だという気がしてきた。