帰らない日々
被害者と加害者、両者の心理をえぐったスリラー
これはひき逃げについて描いた『ホテル・ルワンダ』のテリー・ジョージ監督によるスリラー映画だが、一般にありふれたスリラー映画とは趣が違っていて、被害者と加害者の心理が痛いほど伝わって来る緊張感たっぷりのヒューマンドラマになっている。ワンカットワンカット、ヒッチコック映画のような古風な演出法で丁寧に作られていて、ストーリーの段階分けが実に巧い。「もしも自分だったら」と色々な人物に感情移入させられる奥深い一本である。(この先は、ネタバレがあるので、ぜひ映画を見てから読んで欲しい)
加害者について描いた映画は他にもあるけれど、これほどリアルに胸をえぐられるような映画は他にはなかった。かすれ声のマーク・ラファロ(『ゾディアック』)は適任。彼の動揺している様が見事。この事故は、加害者にとっても事故だったということである。この映画では従来のスリラーでいう追う側と追われる側の立場が逆転していて、被害者の方がむしろ犯罪者みたいな描き方になっている。
被害者側の心理も深く描いている。息子を殺されて、それ以来寝ても覚めてもそのことしか頭にない。警察も全然当てにならず連絡が来なくてイライラ。こうなったら自力で犯人を探そうと意地になる。仲が良かった妻とも悲しみを共有できず不仲になり、同じ境遇を体験しているチャット仲間と夜な夜なチャットに明け暮れる毎日。今もどこかでひき逃げ犯がのさばっているかと思うと腹わたが煮え繰り返るばかりだ。被害者のこの憎しみ、もどかしさは怖いくらいよくわかる。
皮肉なのは、事故が起こるきっかけが、ささいなこととして描かれていることだ。息子はホタルを逃がしていたらひかれてしまった。たかがこれだけのことだから、余計に悲しみは大きい。加害者にとっても、この事故はちょっと脇見した瞬間に起きたこと。それだけの不注意で取り返しのつかないことになったのだから、当人にしてみればこんな運命なんてあんまりである。なんでこんなことになったんだと、起きたことを思う度にむしゃくしゃして胸がはりさけるような思いだったろう。もしかしたら、事故が起きたときに隣に息子が乗っていなければ逃げなかったかもしれない。ぶつけた瞬間に横の息子も怪我をして、それがアッという間の出来事だったから、冷静に判断できず、思わずとっさに逃げ出してしまったのではないだろうか。加害者にとっては、何度あの日をやりなおせたらいいと思ったかわからない。この『帰らない日々』というタイトルは加害者からの心境を表したタイトルだと言える。
このスリラー映画が感動的なものになったのは、親子愛について描かれているからである。親が子を本当に心の底から愛し、大切に想っている様が胸に突き刺さるように伝わって来る。加害者が自首しようと思っても、息子を愛するがあまり、息子と離れたくないからどうしても決心がつかない。被害者側は息子を失ったがためにひたすら犯人を追い続けているのに、加害者側は息子を失いたくないがためにひたすら逃げ続けているというわけだ。被害者にとっても、加害者にとっても親が子を想う気持ちは大きなもので、その両者が対比となってサスペンスもさらに高まっていく。
加害者は、学校の演芸会で息子がステージに立っている姿を見て目を潤ませる。とっておきの野球ワールドシリーズだけは絶対に息子と一緒に見たいと願う加害者の姿は涙なしには見られない。ラストでは、両者ともその悲劇をもう起きてしまったこととして受け止めて残りの人生を生きていく様が暗示されており、見終わった後もしばらく余韻を引きずる衝撃作になっている。そして無性に両親が恋しくなる映画でもある。(2008/7/26)
イベント『帰らない日々』対談レポート
去る7月17日(木)、汐留にて『帰らない日々』の試写会があり、精神的なものについて描かれている映画ということで、精神科医の香山リカさんと、マリ・クレール編集長生駒芳子さんによる対談トークショーが開催された。
生駒さんは「悲しみそのものがなくなることはない。それを肯定して生きていくことが大事。悲しいことも、それが深みになって人生が楽しめるようになる」、香山さんは「被害者加害者は正義と悪と簡単にはすまされない。家族も他人同士。一人一人の思いは違うし、問題のない家族はない。幸せとは何かを考えさせる映画」と作品を評した。『帰らない日々』は7月26日(土)よりシャンテシネほか全国順次ロードショー中