逆光 (フィルムロジック)
Lesson 4
逆光
逆光とは、すなわち、被写体の後ろ側から射す光で、記念撮影やスナップではNGになるわけだが、これが映画では時には芸術になる。
やり方は何通りかあるが、最もよく使われる手法は次の二つである。
(1)後ろから光を当てて、被写体を濃厚なシルエットにする。
(2)斜めから光を射し込ませて、被写体の輪郭を覆い隠す。
太陽光や強い人工の光をフレーム内に収まるように撮る方法もある。
次にいくつか逆光のシーンを取り上げているので、参考にして欲しい。
「風と共に去りぬ」
監督:ヴィクター・フレミング、他 撮影:アーネスト・ホラー
不朽の名作「風と共に去りぬ」で、最も感動的な場面は、やはりスカーレットが遠くからタラを見つめるシーンであろう(序章と終章で見られる)。ここで名曲「タラのテーマ」が流れ、じーんと感動が大きくなっていく。この映像が、もし逆光で撮られていなかったのなら、ここまで印象的な場面にはならなかったかもしれない。総天然色の映像で見せる空と人物のコントラストが、非常に美しかった。
「サンセット大通り」
監督:ビリー・ワイルダー 撮影:ジョン・F・サイツ
フィルムノワールの最高傑作「サンセット大通り」は、「映画」の映画である。主演のグロリア・スワンソンは、とことんサイレント映画風の演技を披露。あの動きをトーキーで見せられると、何とも不気味な映像になってしまう。左写真は、映写室で、プロジェクターの光に照らされたスワンソンの比喩的映像。やはりサイレント風の仕草を見せているが、「映画」の光に照らされているだけあって、皮肉なおぞましさが表れている。
「未知との遭遇」
監督:スティーブン・スピルバーグ 撮影:ヴィルモス・ジグモンド
SF映画の名作「未知との遭遇」は、感覚的な作品だったかもしれない。いたるところでシンボル的な映像が見られる。光もこの映画ではある種のシンボルとなっている。左写真は、主人公が得体の知れない体験をする場面である。逆光の映像は、主人公が光に包み込まれる様を上手い具合に神秘的に描写している。
「羅生門」
監督:黒澤明 撮影:宮川一夫
「羅生門」は世界に認められた最初の日本映画である。この作品で、最も評価されたのは芸術的カメラワークであった。
特に印象的なシーンは、前半のボレロのシーン。このシーンで、志村喬演じる木こりを追いかけるカメラが凄い。左のカットは、途中挿入される太陽の映像である。蒸し暑い木漏れ日を、移動カメラでダイナミックに捉えた。
「アポロンの地獄」
監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ 撮影:ジュゼッペ・ルッツォリーニ
逆光といえば、この作品である。オイディプス伝説を下敷きにしたイタリア映画であるが、決闘のシーンになると、何も見えないくらい眩しい光線が画面全体に広がる。その光の中、主人公は大声をあげて敵を叩き切っていく。とにかく気迫に満ちた演出である。
このページの最初に提示した分類では、これは?の手法に当たる。
「市民ケーン」
監督:オーソン・ウェルズ 撮影:グレッグ・トーランド
「市民ケーン」は沢山の逆光ショットによって成り立っている。同作は聞き込みによる探偵映画風の構成なのであるが、探偵的な役割となるライターの顔が、結局最初から最後まで逆光でシルエットとなって、決して見ることができない。
狂言回しの顔を写さないとは、何と斬新な試みであったろうか。
「イージー・ライダー」
監督:デニス・ホッパー 撮影:ラズロ・コヴァックス
結晶のような美しさを持った太陽光線のまばゆい輝きは、写真でしか見ることができない。この光線をあえて見せれば、現実にはない映画独特の”かっこよさ”が生まれる。
「イージー・ライダー」はバイクを走らせるヒッピーたちの姿に太陽光線を重ね合わせ、ライダーのきままな生活ぶりを詩的に描写することができた。
「天国の日々」
監督:テレンス・マリック 撮影:ネストール・アルメンドロス、他
ネストール・アルメンドロスは、徹底主義のカメラマンと言われた。「天国の日々」ではオスカーの撮影賞を受賞したが、現場ではスタッフの仲間たちを困らせてばかりで、嫌われていたらしい。
しかしさすがに彼の描く牧歌的な風景は、自然光の印象をそのまま映像化したような美しさで、一見の価値である。アルメンドロスは写真的映像を存分に見せつけてくれる映像作家である。
「レベッカ」
監督:アルフレッド・ヒッチコック 撮影:ジョージ・バーンズ
ヒッチコック先生の逆光映像は、ただじゃすまない。まず光源が炎というところが他とは違う。モノクロ映像で見せる炎は、真っ白である。真っ白の光に照らされた女性は、真っ黒なシルエットとなり、前方の炎にも挟み込まれる。これがまた恐ろしくも美しい映像なのである。スリラーでもないのに、なぜかミステリアスな感じがするのも不思議だ。
逆光はなかなか面白い。素人でも、逆光を使うと、それらしい映像になったりする。
また、朝陽・夕陽の映像は、こぞってカメラアーチストが取り上げるポピュラーな演出である。早朝や夕方は、いかにも映像らしい映像がびしばし撮れるので、ついフィルムを無駄遣いしてしまう人も多い。
ちなみに、僕もしばらく夕陽の映像に凝っていた時期があった。今もだけどね。
逆光
逆光とは、すなわち、被写体の後ろ側から射す光で、記念撮影やスナップではNGになるわけだが、これが映画では時には芸術になる。
やり方は何通りかあるが、最もよく使われる手法は次の二つである。
(1)後ろから光を当てて、被写体を濃厚なシルエットにする。
(2)斜めから光を射し込ませて、被写体の輪郭を覆い隠す。
太陽光や強い人工の光をフレーム内に収まるように撮る方法もある。
次にいくつか逆光のシーンを取り上げているので、参考にして欲しい。
「風と共に去りぬ」
監督:ヴィクター・フレミング、他 撮影:アーネスト・ホラー
不朽の名作「風と共に去りぬ」で、最も感動的な場面は、やはりスカーレットが遠くからタラを見つめるシーンであろう(序章と終章で見られる)。ここで名曲「タラのテーマ」が流れ、じーんと感動が大きくなっていく。この映像が、もし逆光で撮られていなかったのなら、ここまで印象的な場面にはならなかったかもしれない。総天然色の映像で見せる空と人物のコントラストが、非常に美しかった。
「サンセット大通り」
監督:ビリー・ワイルダー 撮影:ジョン・F・サイツ
フィルムノワールの最高傑作「サンセット大通り」は、「映画」の映画である。主演のグロリア・スワンソンは、とことんサイレント映画風の演技を披露。あの動きをトーキーで見せられると、何とも不気味な映像になってしまう。左写真は、映写室で、プロジェクターの光に照らされたスワンソンの比喩的映像。やはりサイレント風の仕草を見せているが、「映画」の光に照らされているだけあって、皮肉なおぞましさが表れている。
「未知との遭遇」
監督:スティーブン・スピルバーグ 撮影:ヴィルモス・ジグモンド
SF映画の名作「未知との遭遇」は、感覚的な作品だったかもしれない。いたるところでシンボル的な映像が見られる。光もこの映画ではある種のシンボルとなっている。左写真は、主人公が得体の知れない体験をする場面である。逆光の映像は、主人公が光に包み込まれる様を上手い具合に神秘的に描写している。
「羅生門」
監督:黒澤明 撮影:宮川一夫
「羅生門」は世界に認められた最初の日本映画である。この作品で、最も評価されたのは芸術的カメラワークであった。
特に印象的なシーンは、前半のボレロのシーン。このシーンで、志村喬演じる木こりを追いかけるカメラが凄い。左のカットは、途中挿入される太陽の映像である。蒸し暑い木漏れ日を、移動カメラでダイナミックに捉えた。
「アポロンの地獄」
監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ 撮影:ジュゼッペ・ルッツォリーニ
逆光といえば、この作品である。オイディプス伝説を下敷きにしたイタリア映画であるが、決闘のシーンになると、何も見えないくらい眩しい光線が画面全体に広がる。その光の中、主人公は大声をあげて敵を叩き切っていく。とにかく気迫に満ちた演出である。
このページの最初に提示した分類では、これは?の手法に当たる。
「市民ケーン」
監督:オーソン・ウェルズ 撮影:グレッグ・トーランド
「市民ケーン」は沢山の逆光ショットによって成り立っている。同作は聞き込みによる探偵映画風の構成なのであるが、探偵的な役割となるライターの顔が、結局最初から最後まで逆光でシルエットとなって、決して見ることができない。
狂言回しの顔を写さないとは、何と斬新な試みであったろうか。
「イージー・ライダー」
監督:デニス・ホッパー 撮影:ラズロ・コヴァックス
結晶のような美しさを持った太陽光線のまばゆい輝きは、写真でしか見ることができない。この光線をあえて見せれば、現実にはない映画独特の”かっこよさ”が生まれる。
「イージー・ライダー」はバイクを走らせるヒッピーたちの姿に太陽光線を重ね合わせ、ライダーのきままな生活ぶりを詩的に描写することができた。
「天国の日々」
監督:テレンス・マリック 撮影:ネストール・アルメンドロス、他
ネストール・アルメンドロスは、徹底主義のカメラマンと言われた。「天国の日々」ではオスカーの撮影賞を受賞したが、現場ではスタッフの仲間たちを困らせてばかりで、嫌われていたらしい。
しかしさすがに彼の描く牧歌的な風景は、自然光の印象をそのまま映像化したような美しさで、一見の価値である。アルメンドロスは写真的映像を存分に見せつけてくれる映像作家である。
「レベッカ」
監督:アルフレッド・ヒッチコック 撮影:ジョージ・バーンズ
ヒッチコック先生の逆光映像は、ただじゃすまない。まず光源が炎というところが他とは違う。モノクロ映像で見せる炎は、真っ白である。真っ白の光に照らされた女性は、真っ黒なシルエットとなり、前方の炎にも挟み込まれる。これがまた恐ろしくも美しい映像なのである。スリラーでもないのに、なぜかミステリアスな感じがするのも不思議だ。
逆光はなかなか面白い。素人でも、逆光を使うと、それらしい映像になったりする。
また、朝陽・夕陽の映像は、こぞってカメラアーチストが取り上げるポピュラーな演出である。早朝や夕方は、いかにも映像らしい映像がびしばし撮れるので、ついフィルムを無駄遣いしてしまう人も多い。
ちなみに、僕もしばらく夕陽の映像に凝っていた時期があった。今もだけどね。