ズーム・ショットと移動ショット (フィルムロジック)
Lesson 3
ズーム・ショットと移動ショット
ズーム・ショットとは、すなわち、撮影中に画角を広角から望遠あるいはその逆に変更させるショットである。それは、スティル写真にはない活動写真だけの芸術である。移動ショットとは、カメラの位置を移動させることである。ここでは、とくに前進と後退の移動ショットについて言及する。ズーム・ショットと前進・後退の移動ショットは、同じような意味を持つ。ズームの利点は、カメラの位置を動かさなくとも急速にロングからアップに映像を変えられることだが、ロングでは映像の陰がゆがみ、アップでは遠近感が平面的になる欠点がある。移動ショットは映像的な欠点はないが、ズームほど急速な前進・後退ができない。
次に、印象的なズーム・ショットと移動ショットを、ひっぱりだしてきたので、参考にしてほしい。
下の写真では、ロール・オーバー効果を活用しております。
マウスを写真の上に乗せると、ズームした後の映像を確認することができます。
「ベニスに死す」
監督:ルキノ・ヴィスコンティ 撮影:パスカリーノ・デ・サンティス
ヴィスコンティはズームを過剰なほど好んだ少数派監督である。左写真は、主人公が美声年の美しさに見とれるシーンである。まずは遠くからの映像であるが、しだいにズームし、美声年の顔へと焦点が合わさる。主人公の何とも言えない心の持ちようが、このズームにこめられている。この名作はこの手法を多用して観客の感情を震わせた。
「バリー・リンドン」
監督:スタンリー・キューブリック 撮影:ジョン・オルコット
同作は、ズームの宝庫である。場面が変わるたびにゆったりとしたズーミングが見られる。これは作品の句読点的な役割があるのと同時に、観客に登場人物の気持ちを考えさせる余裕を十分に持たせている。左の場面は主人公の苦悩を表現したもので、しだいに主人公が遠ざかっていくように後退させているのが特徴である。
「七年目の浮気」
監督:ビリー・ワイルダー 撮影:ミルトン・クラスナー
回想シーンへの転換の前触れとして、登場人物の表情にアップするやり方は、映画の常套手段といってよい。左のショットは、カメラを直接前進させて撮影した「移動ショット」である。カメラの位置を前進させることでズームアップに近い効果を出すわけだが、ズームほど画のサイズが変わらないことに注目して欲しい。劇映画ではズームは遠近感を狂わせるため、使わない方針が一般的である。カメラの位置を動かして済むならば、ズームする必要はない。
「トレマーズ」
監督:ロン・アンダーウッド 撮影:アレクサンダー・グルジンスキー
非常にユーモラスなズームの使い方である。まず、目的地が画面に映し出されるが、それからカメラがぎゅーんと後退し、目的地が想像以上に遠くにあることが明らかになる。説得力があり、かつ一瞬にしてその状況を観客にわからせる見事なショットである。「トレマーズ」は実によくできた技巧派の秀作だ。
「市民ケーン」
監督:オーソン・ウェルズ 撮影:グレッグ・トーランド
「市民ケーン」のカメラは見れば見るほど奥が深い。映像の前進と後退も絶え間なく使われているが、テンポが絶妙で、次のショットになめらかにディゾルブする演出はまさに神業。余りにもカメラの流れが自然なので、画角が変化したことなど気付かせない美しさでもある。左は少しずつだが、画面が前進している。3分も時間をかけてのアクションである。
「ライムライト」
監督:チャールズ・チャップリン 撮影:カール・ストラス
チャップリン映画のカメラはとても整っていて、まるで無駄がない。理想のカメラワークといっていい。カメラもそこそこ動かしているが、これが的を射た使い方で、余計な場面では使っていない。左は、主人公が得意の芸を披露し、歓声に応える場面である。最初は満面の笑みを見せていたが、接写するにつれ、その顔はしだいに曇っていく。カメラはでしゃばらず、チャップリンの演技だけを見つめている。
劇映画では、ズーム・ショットはなかなか探せない。エスタブリッシング・ショットや、看板や手紙の文字を明示するショットなどでしばしば使われるが、人物や小道具にズームする演出は、意外にも少ない。
映画監督の中にはズーム・ショットを嫌い、ズーム・ショットで撮ればいいような場面も、移動ショットや編集に頼るものも多い。
即時性に優れたズーム・ショットは、どちらかというと、ドキュメンタリー・フィルムや、ホーム・ムーヴィー向きなのである。
ズーム・ショットを下手に使った場合、ときに、観客に「カメラマン」を意識させてしまうことがある。それをそうと気付かせない自然なズームを撮れるかは、映画のテンポにも関連している。
ズーム・ショットと移動ショット
ズーム・ショットとは、すなわち、撮影中に画角を広角から望遠あるいはその逆に変更させるショットである。それは、スティル写真にはない活動写真だけの芸術である。移動ショットとは、カメラの位置を移動させることである。ここでは、とくに前進と後退の移動ショットについて言及する。ズーム・ショットと前進・後退の移動ショットは、同じような意味を持つ。ズームの利点は、カメラの位置を動かさなくとも急速にロングからアップに映像を変えられることだが、ロングでは映像の陰がゆがみ、アップでは遠近感が平面的になる欠点がある。移動ショットは映像的な欠点はないが、ズームほど急速な前進・後退ができない。
次に、印象的なズーム・ショットと移動ショットを、ひっぱりだしてきたので、参考にしてほしい。
下の写真では、ロール・オーバー効果を活用しております。
マウスを写真の上に乗せると、ズームした後の映像を確認することができます。
「ベニスに死す」
監督:ルキノ・ヴィスコンティ 撮影:パスカリーノ・デ・サンティス
ヴィスコンティはズームを過剰なほど好んだ少数派監督である。左写真は、主人公が美声年の美しさに見とれるシーンである。まずは遠くからの映像であるが、しだいにズームし、美声年の顔へと焦点が合わさる。主人公の何とも言えない心の持ちようが、このズームにこめられている。この名作はこの手法を多用して観客の感情を震わせた。
「バリー・リンドン」
監督:スタンリー・キューブリック 撮影:ジョン・オルコット
同作は、ズームの宝庫である。場面が変わるたびにゆったりとしたズーミングが見られる。これは作品の句読点的な役割があるのと同時に、観客に登場人物の気持ちを考えさせる余裕を十分に持たせている。左の場面は主人公の苦悩を表現したもので、しだいに主人公が遠ざかっていくように後退させているのが特徴である。
「七年目の浮気」
監督:ビリー・ワイルダー 撮影:ミルトン・クラスナー
回想シーンへの転換の前触れとして、登場人物の表情にアップするやり方は、映画の常套手段といってよい。左のショットは、カメラを直接前進させて撮影した「移動ショット」である。カメラの位置を前進させることでズームアップに近い効果を出すわけだが、ズームほど画のサイズが変わらないことに注目して欲しい。劇映画ではズームは遠近感を狂わせるため、使わない方針が一般的である。カメラの位置を動かして済むならば、ズームする必要はない。
「トレマーズ」
監督:ロン・アンダーウッド 撮影:アレクサンダー・グルジンスキー
非常にユーモラスなズームの使い方である。まず、目的地が画面に映し出されるが、それからカメラがぎゅーんと後退し、目的地が想像以上に遠くにあることが明らかになる。説得力があり、かつ一瞬にしてその状況を観客にわからせる見事なショットである。「トレマーズ」は実によくできた技巧派の秀作だ。
「市民ケーン」
監督:オーソン・ウェルズ 撮影:グレッグ・トーランド
「市民ケーン」のカメラは見れば見るほど奥が深い。映像の前進と後退も絶え間なく使われているが、テンポが絶妙で、次のショットになめらかにディゾルブする演出はまさに神業。余りにもカメラの流れが自然なので、画角が変化したことなど気付かせない美しさでもある。左は少しずつだが、画面が前進している。3分も時間をかけてのアクションである。
「ライムライト」
監督:チャールズ・チャップリン 撮影:カール・ストラス
チャップリン映画のカメラはとても整っていて、まるで無駄がない。理想のカメラワークといっていい。カメラもそこそこ動かしているが、これが的を射た使い方で、余計な場面では使っていない。左は、主人公が得意の芸を披露し、歓声に応える場面である。最初は満面の笑みを見せていたが、接写するにつれ、その顔はしだいに曇っていく。カメラはでしゃばらず、チャップリンの演技だけを見つめている。
劇映画では、ズーム・ショットはなかなか探せない。エスタブリッシング・ショットや、看板や手紙の文字を明示するショットなどでしばしば使われるが、人物や小道具にズームする演出は、意外にも少ない。
映画監督の中にはズーム・ショットを嫌い、ズーム・ショットで撮ればいいような場面も、移動ショットや編集に頼るものも多い。
即時性に優れたズーム・ショットは、どちらかというと、ドキュメンタリー・フィルムや、ホーム・ムーヴィー向きなのである。
ズーム・ショットを下手に使った場合、ときに、観客に「カメラマン」を意識させてしまうことがある。それをそうと気付かせない自然なズームを撮れるかは、映画のテンポにも関連している。