チャーリー
喜劇王チャップリンの半生を描いた伝記映画
先週号で『チャーリー・チャップリン ライフ・アンド・アート』について書いていたら無性に『チャーリー』が見たくなったので、久しぶりに見てみることにした。
この映画が公開されてからもうだいぶ年月が流れたが、あれからだいぶ役者たちの「格」が変わってきた。アッテンボローが監督なので名優アンソニー・ホプキンスが出ているのはお約束だが、この映画って、意外にも『遠すぎた橋』ばりに豪華キャストだったりする。当時やや落ち目気味の印象があったダイアン・レインが二十歳そこそこの役で出ていて当時は無理があると言われたが、今では色気のある素晴らしい熟女スターになったものだ。
出演者の中で一番の出世頭は現時点ではミラ・ジョヴォヴィッチだろう。はっきり言って、これに出た当時は「誰この人?」みたいな感じだった。まだマリサ・トメイの方が有名だった。しかし今じゃ逆転。『バイオハザード』シリーズのヒットであれよあれよと有名になり、日本ではカメラのCMに出たこともあって、人気の首位を争うほどの外タレになった。でもこの映画に出演していた当時のミラは顔もふっくらしていて、だいぶ今とは印象が違う。
また10年後にはこの「格」の順位もばらばらに入れ替わるかもしれない。誰がのしあがり、誰がおちぶれるか、そこがわからないから映画は面白い。
最も興味深いのは主役を演じたロバート・ダウ二ーJr.だ。それまではただの青春スターだったのに(ただし以前から主役級ではあった)、これに出たことで一気に注目されて、オスカーにもノミネート、史上最年少の受賞者になるかと目された(受賞は逃す)。たしかにこのダウ二ーはすごかった。劇中の「移民」を再現した映像では、本物のチャップリンかと見間違えるほど仕草がそっくりだった。続く『愛が微笑む時』の演技も高く評価されて、当時ダウ二ーは雑誌の俳優名鑑でジョニー・デップと同枠で紹介されたほどだ。しかしその後何度も麻薬でゴシップ欄を賑わし、名声はガタガタに。ついにはオスカーの受賞式で「落ちぶれた俳優」としてビリー・クリスタルのギャグのネタにされてしまった。しかし、その後小さな脇役から少しずつ映画界に復帰。あれからもう何年経ったか、めきめきめきめき頭角を現してきて『アイアンマン』で再び主演スターに返り咲いた。今ではかなりの個性派俳優といえる。『スキャナー・ダークリー』のとぼけた感じの役はダウ二ーにしかできないだろうし、『ゾディアック』も独特の雰囲気があった。僕も今まで応援し続けてきたかいがあったというものだ。
話がだいぶそれたのでチャップリンに戻そう。僕はチャップリンが世界で一番好きなので、この映画は物凄く楽しみだった。僕がチャップリンに熱中したとき、すでにこの映画は日本で公開を終えていたので、どうしても見たいと願っていた僕は商品化を待つばかりだった。僕はチャップリンにまったく興味がない同級生たちに強引に「発売したら絶対に見ろ!」と脅迫的に宣伝してたっけなあ。
当時17歳になろうかという僕はレーザーディスク発売日に備えてお小遣いを貯めておき、発売日の日には熊本下通のビデオ店まで自転車をカッ飛ばしたものだ。
というわけで、僕にとってはかなり思い出のある映画。でもあまりにも期待しすぎていただけに、実際に映画を見たときにはがっかりしたものだった。僕の想像していたものとだいぶ違ったからね。アッテンボローを恨みそうになった。エッチなシーンがあったのもまだ高校2年生の僕には我慢できなかったし、チャップリンの女性に対する性癖のことにしか描かれていない映画だと思った。だいたいチャップリンがアメリカを追放されたこと以外にももっと大事なことはあるだろうに。映画を作っているチャップリンの姿をじっくり見たかっただけに、この構成にはがっかりした。
しかし、今この年になってみてみると、思っていたよりもよくできていて、ラストシーンの『キッド』のインサートにはうかつにも大泣きしてしまった。なんだ、本当はいい映画だったんじゃないか!と思った。全人生をよく2時間半にまとめているし、ジョン・バリーの音楽もすごく耳に残るし、人としてのチャップリンの素顔がよく伝わって来る内容だと思う(タイトルバックでチャップリンがメイクを落としているのはそのためだろう)。淀川さんはこれをあまり評価していなかったみたいだけど、自分の中にある「チャップリンをこう描いて欲しかった」という期待を空っぽにして見ると、すごく良い映画であることがわかる。
僕が最も気に入っているのは、チャップリンがハリウッドに訪れるシーン。当時のハリウッドがどのようなところだったのか、美しい映像で描かれている。
先週紹介した『ライフ・アンド・アート』と大方流れは一緒であることに注目して欲しい。チャップリンが映画界に来て、浮浪者のスタイルを見いだし、間もなく監督となる。一気に人気者になり、ギャラアップのためにスタジオを転々としながら、ついには自分のスタジオを建設する。『ライフ・アンド・アート』で描かれていることと同じだ。
長編映画がどのようにして出来上がって行くのかもよく描かれている。ほとんどの映画について、ほんのわずかしか言及していないが、作品のひとつひとつで伝えたいところの核心の部分は『ライフ・アンド・アート』とほぼ一致している。例えば『キッド』で離婚した妻からフィルムの差し押さえがあったことや、『街の灯』でいかにして盲目の少女が浮浪者を金持ちと思わせるかに苦労したことなどだ。
チャップリンが非国民としてアメリカを追放され、20年後そのアメリカに謝罪の意味を込めてアカデミー賞を送られるところがクライマックスとして描かれているところも2作とも共通している。つまり、この『チャーリー』はそれだけ最もチャップリンの人生の核心にせまった伝記映画だったということだ。
今こうして見ると、本当にチャップリンはすごかったんだなあと、今までにも増してもっともっと好きになった。(2008/2/13)