100年前のクラシック映画から映画史を読み解く


スト反対

 米脚本家組合がストライキを起こして、ゴールデングローブ賞の授賞式が中止に追い込まれてしまいましたね。これは大変な事件なんじゃないかと思います。実は授賞式のシナリオは脚本家が書いているのですね。

 なぜストライキが起きたのか、僕は詳しくは存じ上げませんが、どうやら今広がりつつあるインターネットの映画配信事業で、米脚本家組合はその収益配分に文句があるようです。この状況では俳優たちも立場的に授賞式をボイコットせざるを得ません。ジョニー・デップやジョージ・クルーニーが何と言ったかは知りませんが俳優の多くは出席を拒否したらしく、せっかくの好機を棒に振っているような気がします。「たとえ俺一人になっても授賞式には出席する」といってくれるスターはいなかったのですかね。

 事情を詳しくわかっていない僕がここで物申すのはあまり良くないのですが、ゴールデングローブ賞を楽しみにしていた一大衆という意味で全くの部外者というわけでもないので言わせてもらいますと、あくまで一意件ですが、僕はこのストには反対ですね。まるで子供が大声でだだをこねているみたいにたちが悪い。お互いにもっと大人の解決法を見つけて欲しかった。問題発言かな? 僕が経営者の立場だとしたら、もしもストでも起こされたら気が狂ったかもしれませんね。

 ギリギリの低価格で大衆に提供しているものだとしたら、さらに脚本家に取り分を払ったとしたら、会社としては何も儲けがなくなるかもしれないわけですよ。脚本家の給料分だけサービス料を値上げすれば今度は大衆が逃げていくし、経営者は折れても折れなくても、何を選択しても損をする。低賃金で脚本家の働く意欲を失わせ、その結果ストを起こさせてしまうほど追い込んでしまった会社側にももちろん非はあるのでしょうが、個人ならまだしも組合総出で反発するのは行き過ぎかと思います。経営者にとってストは無間地獄のようなものでしょう。

 ストを起こす側にもリスクはあります。ストを起こすということは、働くことを拒否することなので、つまりその間は脚本家は給料がもらえないわけですよ。ストが長引けば脚本家は生活ができなくなってしまいますね。しかし一度暴走したらなかなか平静には戻れません。お互いに変な意地を張ってしまいかねません。ストをする気もないのに付き合わされている脚本家たちはえらい迷惑でしょうね。

 脚本なしには映画もできないので、映画産業は衰退し、社会全体の景気も悪くなります。前回のメルマガで、世界はうまいぐあいに人と人とがつながって回っていることを書きましたが、たったひとつの歯車が欠けただけで、それは悪循環となります。ゴールデングローブ賞には賞そのものに賞金があるわけではないですが、衣料メーカーやその他スポンサー、報道陣など、あらゆる業界が渦をまいて取り巻いているわけですから、授賞式がなくなれば、経済的・文化的損失は計り知れないわけです。ひとつ例をあげるなら、放送局のNBCだけでも実に18億円の損失ということです。となると、NBC社員一同減給決定でしょうか。NBC社員はこの怒りの矛先をどこに向ければいいのでしょうかね。仲間同士で今後消えることのない精神的な亀裂も生じたことでしょう。これがきっかけで失業した労働者だっていないとも限らない。ストが起きると、誰かが負けるのです。決してWin-Winにはならない。

 最初に映画会社のひとつ、ユナイテッド・アーチスツがとうとう折れて脚本家の報酬アップを約束しましたが、これは脚本家を他社よりも先に囲い込んでおくというビジネスチャンスを目してのことだったのかもしれません。真相は誰にもわかりませんが、脚本家組合にしてみれば「勝った」といったところですか。

 日本では以前プロ野球界でストがありました。あれは大衆のことを第一に考えての行動だったと思うので非常に建設的でしたが、脚本家のストには自分さえよければ他人の迷惑など顧みないわがままさを感じます。

 ストは依然続いていますが、脚本家組合はグラミー賞の授賞式は特別にスト解除することを決めました。ゴールデングローブ賞が中止になってもうそれで満足したのか、少しは和解する気になったのか、それともストが自分そのものを痛めていることにやっと本人達が気づいたのか。

 このストは、不幸なことに、映画や授賞式を楽しみにしている一般大衆にまで迷惑をかけているわけです。わからずやの脚本家組合がだだをこねたことで、何万という人が損をしている。もはや組合と映画会社だけの問題じゃなくなっているのです。「早く何とかしないと今度はアカデミー賞もストするぜ」という言葉は卑怯者の使う言葉です。(2008/1/29)