リプリー (レビュー)
The Talented Mr.Ripley
★★★1/2
<アメリカ/1999年/サスペンス>
監督:アンソニー・ミンゲラ/原作:パトリシア・ハイスミス
出演:マット・デイモン、ジュード・ロウ、グウィネス・パルトロウ
注意:ネタバレです。
●お決まりだけど、まずは比べてみようか
この映画は製作が決まった段階から話題になっていた。何しろ「太陽がいっぱい」の再映画化だからである。あの完璧な名作中の世紀の名作を真似しても、当然負けるに決まってるのに、よくやろうと踏み切ったもんだ。アラン・ドロンとは似ても似つかぬマット・デイモンがリプリー役に起用され、世間は「えー!」の声。というわけで幾分か不幸な出だしだったように思えたが、作品が公開されると、同作は絶賛されたのである。
・・・僕も比較したくはなかったけど、やっぱり比較してしまった・・・。
「太陽がいっぱい」と「リプリー」は、似てないようで実は共通点がかなり多く、僕としてはほとんど同じ映画に見えた。とはいっても、「真似した」というような印象は微塵も感じない。「リプリー」は、何か新しい映画を作ったような印象を受ける。
ただ、「太陽がいっぱい」の方が「リプリー」よりも洗練されており、「リプリー」の方は余計なストーリーが多く、長ったらしい傾向にある。
俳優・音楽・カメラの雰囲気を比較してしまえば、「太陽がいっぱい」にまるで勝ち目はないのでアホらしいから、そんなことはしないことにするが、リプリーの青春像と心理描写にウェイトを置いた演出は「太陽がいっぱい」に勝ることはないにせよ、かなりいいラインを超えている。
僕は原作を読んだことはないが、こっちの方が原作に近いような感じはした。「リプリー」を見る場合、「太陽がいっぱい」のリメイクと考えると失敗作になってしまうので、「ハイスミスの原作の映画化」として楽しむのが利口であろう。実際そうしたら同作も名作に思えてきた。「太陽がいっぱい」はもう忘れろ。
●リプリーの才人?ぶりを研究してみてよ
この映画の登場人物はみんな面白い性格である。ディッキーのきまぐれな性格も面白いし、みんな複雑な性格をしている。矛盾した性格といえばいいだろうか、反対の両面を併せ持っている。ディッキーはリプリーのことを気色悪いと思いながらも、よき幼なじみにように接するし、リプリーは、才人でありながら、どこか頼りない。リプリーは頭がいいのかアホなのか曖昧なのである。そういう性格の描出力はなかなかのものである。もちろん出演者の演技の力もある。ジュード・ロウはここ最近の掘り出し物だ。
リプリーは2つの名前を自在に使い、会う人物によって表情を変え、変身を繰り返すのだが、その才人ぶりがこの映画の重要ポイントとなる。ときには突然大変な状況に立たされるのだが、たじたじしながらも悪運に助けられたり、何とか自慢の器量を回転させてピンチを脱していく。ここが面白い。同じ場所で会ってはいけない人物と鉢合わせしてしまうシチュエーションの妙味は、チャップリンの「殺人狂時代」のパーティのシーンを思わせ、ある意味ユーモラスでもある。
リプリーは計画的に行動しながらも、しょっちゅう危うい展開に陥ってしまったり。その起伏がちょっとしたスパイスで、状況が良いのか悪いのかも先々で変わってくるので、観客にも先を読ませない。
リプリーのそんな性格、行動パターンは、もっともっと観察したいし、そのことを考えてしまうと、一日飽きることがない。だから、この映画は見終わった後になっても我々を楽しませてくれるのである。あの悩ましき衝撃のラストシーンは、映画製作者からのささやかなプレゼントなのだ。
最後に一言:内容がいっぱい
★★★1/2
<アメリカ/1999年/サスペンス>
監督:アンソニー・ミンゲラ/原作:パトリシア・ハイスミス
出演:マット・デイモン、ジュード・ロウ、グウィネス・パルトロウ
注意:ネタバレです。
●お決まりだけど、まずは比べてみようか
この映画は製作が決まった段階から話題になっていた。何しろ「太陽がいっぱい」の再映画化だからである。あの完璧な名作中の世紀の名作を真似しても、当然負けるに決まってるのに、よくやろうと踏み切ったもんだ。アラン・ドロンとは似ても似つかぬマット・デイモンがリプリー役に起用され、世間は「えー!」の声。というわけで幾分か不幸な出だしだったように思えたが、作品が公開されると、同作は絶賛されたのである。
・・・僕も比較したくはなかったけど、やっぱり比較してしまった・・・。
「太陽がいっぱい」と「リプリー」は、似てないようで実は共通点がかなり多く、僕としてはほとんど同じ映画に見えた。とはいっても、「真似した」というような印象は微塵も感じない。「リプリー」は、何か新しい映画を作ったような印象を受ける。
ただ、「太陽がいっぱい」の方が「リプリー」よりも洗練されており、「リプリー」の方は余計なストーリーが多く、長ったらしい傾向にある。
俳優・音楽・カメラの雰囲気を比較してしまえば、「太陽がいっぱい」にまるで勝ち目はないのでアホらしいから、そんなことはしないことにするが、リプリーの青春像と心理描写にウェイトを置いた演出は「太陽がいっぱい」に勝ることはないにせよ、かなりいいラインを超えている。
僕は原作を読んだことはないが、こっちの方が原作に近いような感じはした。「リプリー」を見る場合、「太陽がいっぱい」のリメイクと考えると失敗作になってしまうので、「ハイスミスの原作の映画化」として楽しむのが利口であろう。実際そうしたら同作も名作に思えてきた。「太陽がいっぱい」はもう忘れろ。
●リプリーの才人?ぶりを研究してみてよ
この映画の登場人物はみんな面白い性格である。ディッキーのきまぐれな性格も面白いし、みんな複雑な性格をしている。矛盾した性格といえばいいだろうか、反対の両面を併せ持っている。ディッキーはリプリーのことを気色悪いと思いながらも、よき幼なじみにように接するし、リプリーは、才人でありながら、どこか頼りない。リプリーは頭がいいのかアホなのか曖昧なのである。そういう性格の描出力はなかなかのものである。もちろん出演者の演技の力もある。ジュード・ロウはここ最近の掘り出し物だ。
リプリーは2つの名前を自在に使い、会う人物によって表情を変え、変身を繰り返すのだが、その才人ぶりがこの映画の重要ポイントとなる。ときには突然大変な状況に立たされるのだが、たじたじしながらも悪運に助けられたり、何とか自慢の器量を回転させてピンチを脱していく。ここが面白い。同じ場所で会ってはいけない人物と鉢合わせしてしまうシチュエーションの妙味は、チャップリンの「殺人狂時代」のパーティのシーンを思わせ、ある意味ユーモラスでもある。
リプリーは計画的に行動しながらも、しょっちゅう危うい展開に陥ってしまったり。その起伏がちょっとしたスパイスで、状況が良いのか悪いのかも先々で変わってくるので、観客にも先を読ませない。
リプリーのそんな性格、行動パターンは、もっともっと観察したいし、そのことを考えてしまうと、一日飽きることがない。だから、この映画は見終わった後になっても我々を楽しませてくれるのである。あの悩ましき衝撃のラストシーンは、映画製作者からのささやかなプレゼントなのだ。
最後に一言:内容がいっぱい