ロミオ&ジュリエット (レビュー)

William Shakespeare's Romeo and Juliet

★★★

<アメリカ/1996年/120分/恋愛>
監督:バズ・ラーマン
原作:ウィリアム・シェイクスピア
出演:レオナルド・ディカプリオ、クレア・デーンズ、ジョン・レグイザモ、
ポール・ラッド、ジェシー・ブラッドフォード、ハロルド・ペリノー

ネタをあかしています。

●許せない脚色
 シェイクスピアの作品の中でも、最も知名度の高い「ロミオとジュリエット」を、現代的解釈で映像翻訳した作品がこれである。とはいっても、文化的なところが現代と中世がごっちゃになってしまっているので、”現代”といってしまうのには語弊があるだろう。”SF”といった方が似合ってる。
 公開前からずっと話題になっているのが、この映画の台詞。あの詩的な台詞をそのまま残したということが、注目されていたのだが、でも実際はずいぶんと台詞も脚色されている。
 シェイクスピア様の書いた”本物版”は、実に上品で、機知に富んだものだったが、”SF版”で新たに脚色された台詞は、簡略化し、スラング的で品がなく、いまひとつユーモア・センスに欠ける。全く同じ台詞もあったが、それらの台詞も、映像との掛け合いと、演技の”間”から、文学的説得力がなくなっている。
 出演者が、エリザベス調のイントネーションで喋る所は面白いのだが、やはりネイティブなイギリス・アクセントでない分、演劇的なリズム感がない。
 

●滑稽にしかみえない
 「ロミオとジュリエット」は悲劇である。”本物版”では、コメディ的な要素も見てとれるが、この”SF版”では、シリアス路線を重視。しかしこいつがそれなのに笑える。とはいっても、笑いは笑いでも、”本物版”にあるような台詞のユーモアとはわけが違う。”SF版”の方は、映画の作り方が変で、あらゆる点がコミカルにしか見えてこない。
 不愉快なのは「あなたはなぜロミオなの?」のあの名場面のアレンジ。”本物版”では、ロミオが塀に上がり、ジュリエットを見上げるようなロマンチックなシーンだったの対し、”SF版”では何とエレベーターが登場。目の前にいるロミオに気付かないジュリエットが妙に滑稽だ。ムードも台無し。しかもその後、プールにドボン。これにはあきれたね。
 ロミオがジュリエットの眠る教会へと急ぐシーンも最悪。ヘリが出てきて、ロミオの”車”をサーチライトで照らし、おまけにドンパチ・シーンまで準備。神父さんも大マジな顔して電話してるけど、これがまたおかしな絵なんだよね。まるでパロディ映画。
 友達は、この映画を絶賛してたけど、その友達、”本物版”を知らないからね。”本物版”を知っている人なら、この作品をいいなどと言わないだろう。あくまで、”本物版”と比べればの話だよ。
 

●アーティスティックに作ろうと心がけるも・・・
 監督はバズ・ラーマンだが、この作品を、かなりアーティスティックなものにしようと試みている様子が全編からうかがえる。
 まず、この映画はやたらとクロース・アップを多様している。映像面で躍動感を出すためにやったのだろうと思えるが、これがただのスター・ドUP映像にしか終わっておらず、それどころか、アクションがわかりにくくなってしまった。ベッド・シーンではカメラの視点がジュリエットの視点になったりするが、あれには正直噴き出しそうになった。
 セットを見てみると、鮮やかなカラーを生かした、超現実的装飾がいたるところに見られる。なかなかいい感じである。海岸のセットなど、太陽の逆光が素晴らしい。”本物版”には関係のない”水”を効果的にモチーフにしたところもいいアイデアだったかもしれない。しかし、”本物版”で美しい印象を残していた仮面舞踏会のシーンを消すことはなかったと思う。仮面をつけたまま踊るところが良かったのに・・・。
 ”SF版”では、突然フィルムがちょこまかと動いたりもするが、はたしてこういう演出を施したこの監督は、芸術思考人間なのか娯楽思考人間なのか、悩むところである。
 それともうひとつ、ジュリエットが”銃”で自殺するというのも美学的にひねくれている気がした。
 

最後に一言:なんだ、ミーハー映画か

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