真珠の耳飾りの少女 (レビュー)

適切なこじつけ
かのサルバドール・ダリが最も尊敬していた画家フェルメール。フェルメールの作品は30点くらいしかなく、その私生活ははっきりとした記録が残っていない。フェルメールの肖像画は、どちらかというと静物画のようであり、現代の写真機で撮影したような奥行き感が描かれていることで知られる。ほとんどの絵はフェルメールの部屋の中で描かれたものだが、この映画ではフェルメールの部屋を絵画のイメージを損なわないように丹念に再現した。フィルムの色遣いなど、絵画そのままである。見慣れた風景を別の角度から見るだけでも感動がある。映画とは一種のバーチャルリアリティ体験といえるが、この映画では殊更にそんな「空間」を意識させる。
フェルメールの作品のうち、映画の題名にもなった名画「真珠の耳飾りの少女」はなぜか背景が描かれていない。フェルメールの絵はどれも閉じた構図であるが、「真珠の耳飾りの少女」の真っ暗なバックはそれよりももっと閉じた空間に見える。画家とモデル二人だけの永遠の世界。この絵から、さまざまな憶測が生まれたが、それを監督は1本のラブ・ストーリーに仕立て上げたわけだ。必ずしもこれは真実とはいえないが、自分なりに大胆な解釈をすることが、面白い映画になるというお手本である。あらゆるこじつけが白々しくなることなく、適切にドラマを盛り上げる。フィクションとノンフィクションの狭間を狙った実にうまい作り方だ。

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