シェンムー・ザ・ムービー (レビュー)

★★1/2

<日本/2001年>
製作・監督・脚本:鈴木裕

●「シェンムー」はもうひとつの現実を体感するゲーム
 セガの社運をかけた大作ゲーム「シェンムー」は製作費70億円というギネス記録を立てた。「シェンムー」は、「ゲームの中でもうひとつの現実を体感する」というコンセプトで作られ、プレイヤーは主人公の体を使って、自由に町中を歩き回り、自由に物に触れることができた。あるときは晴れ、あるときは雨という天気システム(マジックウェザー)を取り入れ、ゲームの中の登場人物は皆その世界に生きて生活していた。セガは「シェンムー」のジャンルをFREE(フル・リアクティブ・アイズ・エンターテインメント)と命名し、ゲーム業界に新たな新機軸を打ち出したのである。
 今回紹介している映画は、ゲーム「シェンムー」のストーリーをダイジェストにまとめ、映画的な見せ方で編集しようと試みたものである。
 

●ゲームはあくまでゲーマーのためにある
 この映画は、映画と言い難いところがかなりあるので、ある意味ふつうの映画よりも刺激になるかと思う。ただし面白いとは言えないが。
 まず気になったのが、これが映画のために改めて撮影されたものではなく、ゲームで使われている既成の画面をそのまんま使っていること。ここ最近は「トゥームレイダー」やら「バイオハザード」やら色々なゲームが映画化されているが、どれも役者を使って脚本から何までまったく一から作っているのに、「シェンムー」だけは全部がゲーム画面そのまま。ゲームをビデオに録画してただ編集したような印象を受ける。この結果、目新しいゲーム映画に見えてしまうのだが、「しょぼい」とこぼしたくもなる。ゲーム画面はプロジェクターで見るとやたら暗くて見にくいし、主人公が悪党たちと戦う場面や主人公が町を歩く場面などでは全身を写した構図になり、カメラの動きも不自然で、しまりのない映像になったものだ。ゲームでは登場人物の全身ショットの方が見やすく、プレイヤーにも親切だが、映画にはこういう全身ショットは不向きである。やはり映画の映像とゲームの映像は種類が別ものだと実感させられる。ゲームというものはプレイすることに意義があるのである。
  

●鈴木氏映画を知らず・・・
 鈴木裕氏はゲームづくりにかけては世界一の実力者といっても過言ではないと思うが、映画を知らなすぎる。この映画のストーリーの見せ方の「無意味さ」には本人は気付いていないのだろうか? 見せ場ばかりをつなげたみたいだが、ほとんどのシーンはなくてもいいようなシーンばかりで、意味を持ったシーンは15分もない。カットの選び方もひどいし、まるでアマチュア。
 主人公の前に悪党が現れ、きちんとした動機を見せぬまま、戦いが始まり、くだらないバトルシーンから間もなく、悪党を倒してはいそれまで。いったい何だったんだ? ゲームをプレイしているものにとっては敵に動機などがなくとも襲いかかってくるだけで熱中するが、映画というものには何事も順序や見せ方というものがあるので、こういうシーンは意味を成さないのである。僕なんか、ここで「へえ、こういう技の使い方もあるのか」と、ゲームの参考にさせてもらっただけである。
  

●もっとユニークな作風にすべきだった
 もともとこのゲームの素晴らしさはバーチャル体験ができること、それしかないので、ストーリーは大して面白いものではなかった。ゲームは全体を通して戦い戦いまた戦いで終わる。こんなつまらないストーリーをそのまま映画にしたところで何が楽しい? それよりももっとこのゲームの独特なシステムをアピールした方が面白くなったのではないか? 天気システムのことや、ミニゲームとしてできる「スペースハリアー」のことなどを映画の中でMTV風のタッチで見せてみるのもユニークでなかなか良かったかもしれない。それと、もうちょっと商業主義に走ってもらいたかった気もする。しかしエンドロールで「II」の映像を見せているのは宣伝のつもりだろうか? こんな映像を入れられてしまったせいで、一本の作品としてのまとまりさえなくなってしまった。
 
最後に一言:僕はセガ・ファンですが、あくまで映画評論家として意見しました。

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