華氏911 (レビュー)

映画自体が良かったというわけではない
 僕はブッシュ支持派でもブッシュ反対派でもどちらでもない。ようするに政治に無関心な僕が、このような政治映画を見たところで、政治のことで云々することはありえないわけで、あくまで映画として評価させてもらうなら、これはあくびの出る映画と言わねばならない。「政治映画として見なければ意味がない」という意見ももっともではあるが、これが今、あらゆるところで取りざたされていることに関して、僕が一番納得できないのは、映画自体が受けているのではなく、映画をとりまく出来事が話題になっているだけにすぎないことである。映画単体が純粋に良作というわけではなく、単に政治騒動の話題の一手段として注目され、祭りあげられただけである。カンヌが本作に最高賞を贈ったのは、おそらく作品自体を評価してではなく、作品のジャンル的独創を評価してだと思われる。
 クレームのメールが殺到するのを覚悟で書かせてもらうが、この映画の政治的な側面ばかりを云々する傾向が僕は映画を見る前から気にくわなかった。マイケル・ムーア本人のその後のインタビュー記事までも、作品を楽しむための一環としたメディアミックス的な方法論もどうも好きになれない。十数年後に初めてこの映画を見る人が、今の時代背景を考慮せずして、またムーアを知らずして、この映画の意味がわかるであろうか。「なにも映画単体で楽しむ映画だけが映画じゃない」「これは映画じゃなくて政治的メディアなのだから映画として評価するな」と言われればそれまでだが、僕の主観では、映画単体の力がこれほど弱々しい作品を、僕はどうしても好きになれなかった。映像力のひとつの模範でもあるクストーの海底探検シリーズのような内容を、この映画に求めても端から無駄なのは承知していたが(クストーと比較されてはムーア・ファンも不本気だろうが)、ありのままを映す既存の映像ばかりをたんたんと並べられて、とくにこれといった主張もなく、「この映像をみて、あなたは何を思ったか?」というあやふやなクエスチョン・マークを投げつけられ、時間だけが過ぎていく。内容に反して演出はあっさりしており、説明はなし。「自分で考えろ」的な、その何とも言えないやり場のなさがこの映画の良いところなのかもしれないが、2時間も付き合わされるわりには無内容すぎないか。既存の映像だけでも、「映像の世紀」のように、つなげ方次第では自立した傑作となりえたはずだが、この映画には映像的な変化が乏しく、同じようなシーンばかり見せられて、これでは受け手の方が映画を見ながら政治的解釈を補完していかなければ、すぐに飽きてしまう。ほとんどがテレビ映像というのも、あえて大きなスクリーンで上映する価値があるのだろうか。こうなると映画館にわざわざ足を運ぶ観客のモチベーションが作品の良し悪しを評価する鍵になってくる。
 マイケル・ムーアがこういう映画を作った勇気は認めるが、映画単体だけではいまいち信念が伝わらず、映画としての娯楽性は乏しい。メディアを茶化した映画にして、最も肝心の決定的瞬間をあえて黒幕で隠したのはなぜか。そこがこの映画が高く評価されているもっともの理由らしいが、僕はその意見には反対である。僕はそのあざとい演出を見て、この映画に描かれていることの全てがたわことに思えてきて、いきなり嫌気がさした。あの瞬間の映像こそ映像力として不可欠なものだったはずなのに。これだったら、カメラ片手にアメリカ中を駆け回った「ボウリング・フォー・コロンバイン」の方が、まだジャーナリズムとしての映像力を感じられて見応えがあったろう。
 どうせこれはマイケル・ムーアの独善映画である。映画を見た人の感想なんて、どれもこれも独善になって当然である。僕の意見だって偏見でしかなく、僕がここで何を書いたところで、それを読んだ読者がどうこう反論するほどのものでもない。「結論が出せず、客観的に評価できない映画」「語るほどに論争を呼ぶ映画」という点では、確かにこの映画は今年一番の問題作ではあるのだが。好きか嫌いか選ぶなら、嫌いである。ただ嫌いと思っているだけで、別にダメといっているのではないが。

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