大停電の夜に (レビュー)

心が洗われるお茶目なクリスマスプレゼント
 僕はタイトルだけにひかれてこれを見たが、正直最初はパニック映画かと思ったが、見事な群像ドラマだった。僕は群像ドラマはそれほど好きではないのだかけれど、これは良かった。今まで僕が見た群像ドラマの中でも史上屈指といえるものだった。見終わって思わずパンフレットを衝動買いした。僕がパンフレットを買ったのは550日ぶりのことだ。

 まず登場人物が12人。この12人のキャラクターたちがみんないい人たちで、嫌な感じの役は一人もいない。年齢層も中学生から老人まで様々。これが男6人女6人で対になっているのがうまいのだけれど、みんなカップルとはいえないような微妙な仲に設定してある。そしてこの12人が、彼らの知らないところで実はかなり深くつながりあっている。この絡み具合が絶妙で、彼らが交錯するプロセスが意表をついていて面白かった。場所を東京という大都会にしたこと。時間をクリスマスにしたことも贅沢な選択。これぞ群像ドラマだから味わうことのできる構成の妙味。

 これは大変地味なパニック映画ともいえなくない。普段なにげなく生活しているいつもの風景が、ある日突然変わる。そういうシチュエーションは僕は大好きである。「ポセイドン・アドベンチャー」の上下逆になったセットにもワクワクしたし、「デイ・アフター・トゥモロー」で凍りに覆われた町を見たときもワクワクした。この映画で描かれているのは停電だ。眠らない町が真っ暗になるなんて最高にワクワクである。暗くなることで、人々はみな態度が変わる。我に返り、夫婦差し向かいで食事をして、急に改まったことを言いだす。これも些細なパニック。その素敵なパニックを観客にも分かち合ってもらいたいものだ。見ているこちらまで心が洗われてくる。

 役者では豊川悦司がそのしぐさ、表情、すべてにおいて存在感が際立つ。ただそこに立っているだけでもムードのある俳優である。特に声が魅力的で、セリフの一言一言がしびれるほどにかっこいい。映画のムード作りの点ではもっとも貢献しているだろう。

 しかしながら驚くほどにセンスのいい映画である。この映画そのものがジャズの心だ。特に映像が素晴らしい。ほぼ全編を暗闇で撮影しているが、灯されたキャンドルの穏やかな光がロマンチックなムードを作り上げており、そのムードはジャズそのもの。老人がアメ車をちょっくら拝借するシーンも小粋にジャズの心を謳いあげる。どちらかというと深刻なストーリーなのだが、それなのに最後にはお茶目な印象を残す。すべてがジャズでつながっている。映画のモチーフがビル・エヴァンスの名盤「ワルツ・フォー・デビー」というのだからオシャレ。クリスマス、これは最高に素敵な映画のプレゼントだ。

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