アヴァロン (レビュー)
Avalon
★★★★★
<日本/2001年/SF/106分>
製作:久保淳/監督:押井守/脚本:伊藤和典
撮影:グジェゴシ・ケンジェルスキ/音楽:川井憲次
出演:マウゴジャータ・フォレムニャック、ヴァディスワフ・コヴァルスキ
●21世紀の映画がやってきた
ここ最近はデジタル・ブームといってよく、様々の分野で「デジタル」という言葉を耳にするようになったが、ついに映画もそのときが来た。
家庭用ゲーム機初の全世界対応ネットワークRPG「ファンタシースターオンライン」(以下「PSO」)が発表され、デジタル業界を騒がしたのは数ヶ月前の話である。もちろんネットゲームという分野は最近始まった話ではないが、一般ユーザーでも手軽にバーチャル世界を体感することができる「PSO」の登場は、ネットゲームという分野が本格的に動き出す原動力となり、ネットワークと仮想空間の可能性を世間一般に大いに知らしめた。そしてこれからもこの分野はしだいに発展しつつある。
「アヴァロン」は押井守の入魂の力作である。スタッフ・キャストはポーランド人で(登場人物たちは我々の聞き慣れないポーランド語で会話をするので、何やら不思議な印象を与える。アニメを作るのと同じ感覚で外国人を起用したということだろうか?)、映像はすべてデジタル処理を加えている。モチーフはネットゲームである。その世界観は比較的我々の慣れ親しんだロールプレイングゲームやネットゲームとかなり近い。登場人物の行動や言動は、ネットゲームをプレイしたことがない人が見てもあまりピンとこないかもしれないが、実はかなりディテールまでこだわっている。ゲームデータのバランス性、ゲームの産業性、ゲーマーの抱いている欲求性、ゲーム用語、あらゆるところに注意を向けている世界観は、ゲームフリークも納得させる内容である。そして押井監督の考察は、実に身近であり、決してメルヘンチックではない。ゆえに我々見る者は自然と映画の世界に引き込まれてしまうのだ。
この映画からは、押井監督の、何か新しいことに挑戦しようという並々ならぬ努力がうかがえる。そして映像に革命を起こそうとする熱意が、見事に現実のものとなっている。未だかつてなかった驚異的映像が見る者を圧倒するだろう。これは21世紀の幕開けには相応しすぎるデジタル映画なのである。
●ただただカメラワークに驚くばかり
映像は見た目にも明らかに他の映画とは異なる。モノクロというわけではないのだが、鮮やかさのないくすんだ色合いで、食べ物など、一部だけがカラーで描かれている。
絵画芸術・写真芸術的なカットが次々と出てくるが、これは古典西洋芸術のパロディといってしまえば安っぽく聞こえてしまうかもしれないが、実際巨大スクリーンで見るときの壮観など、たまらない。
近未来なのに20世紀初頭を思わせる古めかしい世界観のセットもさることながら、被写体の配置も計算されていて、カメラの構図・アングルは見応えがある。クロースアップは実に興味深く、犬の餌を作るシーンの映像美にはなぜか涙があふれてくる。街の空、横切る電車、ぴくりとも動かない市民たち、じめじめした雨、すべてが感動だ。美しい主人公の横顔も、フレームの構図を決めるための静物と化しており、スタイリッシュだ。マグナムフォトスの写真のように、動かない被写体から人物の生活感が見えて来る。
また一番感心したのはカメラのパン。これほどまでに立体感のあるパンがあったか。平面上のスクリーンに奥行きが生まれている。
後半になると、突如ハイコントラストの映像へと転換する。通行人、車、ビル・・・。この見慣れた風景が、色といい、構図といい、雰囲気といい、何と美しいことか。そして何でだろう、この映画ではこれが一番リアルな映像であるはずなのに、何かこの映像が見る者をとんでもなく不思議な気分にさせる。これは、見ている我々も主人公と同じく、このリアルな世界へといざなわれてしまったということである。この映画は、夢想的な映像を見せた後に現実的な映像を見せることで、我々を映画の中へと引き込んだ。そればかりでなく、我々が映画の中に閉じこめられたように錯覚させる。ラストの少女の目を見たら、金縛りにかかってしまう。驚くべき映画だ。
●映像が良いか悪いかの問題ではない
全編デジタル加工。実写をアニメ風に描いて、かなり革新的な作品なのではあるが、この映画の場合、新しいことだけが良いというわけではない。この映画は全てが良かった。映画的映画技法を駆使して、「映画」を意識させる映画となっている。
映像がいいことはさっき長々と書いたが、映像が良かったとか悪かったとか、そういうことだけで映画の価値を判断してもらっては困る。この映画はむしろサウンドの映画だからである。サウンドとビジュアルの絡み合いが面白いのだ。とくに主題歌は、聞いているだけで感動で震えてしまう。主題歌は所々で突然激しいテンポになるが、このテンポになったとき、映像が主人公の場面に切り替わる。映像と音楽の使い分けはまさに映画的な演出だ。効果音についても、地下鉄内でのうるさい騒音と、乗客たちの静かな映像の対比や、犬がいなくなったときに聞こえるヘリの音など、上手い。
他にも、ストーリーに適度な哲学観があることも知って欲しいし、単にその場限りの映像だけを楽しむのではなくて、ゲームのプログラマーに目を向けてみるのも面白い。未帰還者について考えてみるのもいいだろう。そういう謎の登場人物については、時々意味深にヒントを提示してくれている。そしてほとんどのヒントは提示されたままで答えがない。答えがないからこそ、我々の想像力は膨らむのであり、この映画に深い楽しみが生まれるのだ。
最後に一言:こういう凄い映画を作れる人がまだ日本にいたのね。
★★★★★
<日本/2001年/SF/106分>
製作:久保淳/監督:押井守/脚本:伊藤和典
撮影:グジェゴシ・ケンジェルスキ/音楽:川井憲次
出演:マウゴジャータ・フォレムニャック、ヴァディスワフ・コヴァルスキ
●21世紀の映画がやってきた
ここ最近はデジタル・ブームといってよく、様々の分野で「デジタル」という言葉を耳にするようになったが、ついに映画もそのときが来た。
家庭用ゲーム機初の全世界対応ネットワークRPG「ファンタシースターオンライン」(以下「PSO」)が発表され、デジタル業界を騒がしたのは数ヶ月前の話である。もちろんネットゲームという分野は最近始まった話ではないが、一般ユーザーでも手軽にバーチャル世界を体感することができる「PSO」の登場は、ネットゲームという分野が本格的に動き出す原動力となり、ネットワークと仮想空間の可能性を世間一般に大いに知らしめた。そしてこれからもこの分野はしだいに発展しつつある。
「アヴァロン」は押井守の入魂の力作である。スタッフ・キャストはポーランド人で(登場人物たちは我々の聞き慣れないポーランド語で会話をするので、何やら不思議な印象を与える。アニメを作るのと同じ感覚で外国人を起用したということだろうか?)、映像はすべてデジタル処理を加えている。モチーフはネットゲームである。その世界観は比較的我々の慣れ親しんだロールプレイングゲームやネットゲームとかなり近い。登場人物の行動や言動は、ネットゲームをプレイしたことがない人が見てもあまりピンとこないかもしれないが、実はかなりディテールまでこだわっている。ゲームデータのバランス性、ゲームの産業性、ゲーマーの抱いている欲求性、ゲーム用語、あらゆるところに注意を向けている世界観は、ゲームフリークも納得させる内容である。そして押井監督の考察は、実に身近であり、決してメルヘンチックではない。ゆえに我々見る者は自然と映画の世界に引き込まれてしまうのだ。
この映画からは、押井監督の、何か新しいことに挑戦しようという並々ならぬ努力がうかがえる。そして映像に革命を起こそうとする熱意が、見事に現実のものとなっている。未だかつてなかった驚異的映像が見る者を圧倒するだろう。これは21世紀の幕開けには相応しすぎるデジタル映画なのである。
●ただただカメラワークに驚くばかり
映像は見た目にも明らかに他の映画とは異なる。モノクロというわけではないのだが、鮮やかさのないくすんだ色合いで、食べ物など、一部だけがカラーで描かれている。
絵画芸術・写真芸術的なカットが次々と出てくるが、これは古典西洋芸術のパロディといってしまえば安っぽく聞こえてしまうかもしれないが、実際巨大スクリーンで見るときの壮観など、たまらない。
近未来なのに20世紀初頭を思わせる古めかしい世界観のセットもさることながら、被写体の配置も計算されていて、カメラの構図・アングルは見応えがある。クロースアップは実に興味深く、犬の餌を作るシーンの映像美にはなぜか涙があふれてくる。街の空、横切る電車、ぴくりとも動かない市民たち、じめじめした雨、すべてが感動だ。美しい主人公の横顔も、フレームの構図を決めるための静物と化しており、スタイリッシュだ。マグナムフォトスの写真のように、動かない被写体から人物の生活感が見えて来る。
また一番感心したのはカメラのパン。これほどまでに立体感のあるパンがあったか。平面上のスクリーンに奥行きが生まれている。
後半になると、突如ハイコントラストの映像へと転換する。通行人、車、ビル・・・。この見慣れた風景が、色といい、構図といい、雰囲気といい、何と美しいことか。そして何でだろう、この映画ではこれが一番リアルな映像であるはずなのに、何かこの映像が見る者をとんでもなく不思議な気分にさせる。これは、見ている我々も主人公と同じく、このリアルな世界へといざなわれてしまったということである。この映画は、夢想的な映像を見せた後に現実的な映像を見せることで、我々を映画の中へと引き込んだ。そればかりでなく、我々が映画の中に閉じこめられたように錯覚させる。ラストの少女の目を見たら、金縛りにかかってしまう。驚くべき映画だ。
●映像が良いか悪いかの問題ではない
全編デジタル加工。実写をアニメ風に描いて、かなり革新的な作品なのではあるが、この映画の場合、新しいことだけが良いというわけではない。この映画は全てが良かった。映画的映画技法を駆使して、「映画」を意識させる映画となっている。
映像がいいことはさっき長々と書いたが、映像が良かったとか悪かったとか、そういうことだけで映画の価値を判断してもらっては困る。この映画はむしろサウンドの映画だからである。サウンドとビジュアルの絡み合いが面白いのだ。とくに主題歌は、聞いているだけで感動で震えてしまう。主題歌は所々で突然激しいテンポになるが、このテンポになったとき、映像が主人公の場面に切り替わる。映像と音楽の使い分けはまさに映画的な演出だ。効果音についても、地下鉄内でのうるさい騒音と、乗客たちの静かな映像の対比や、犬がいなくなったときに聞こえるヘリの音など、上手い。
他にも、ストーリーに適度な哲学観があることも知って欲しいし、単にその場限りの映像だけを楽しむのではなくて、ゲームのプログラマーに目を向けてみるのも面白い。未帰還者について考えてみるのもいいだろう。そういう謎の登場人物については、時々意味深にヒントを提示してくれている。そしてほとんどのヒントは提示されたままで答えがない。答えがないからこそ、我々の想像力は膨らむのであり、この映画に深い楽しみが生まれるのだ。
最後に一言:こういう凄い映画を作れる人がまだ日本にいたのね。