『のぼうの城』2万の兵に500の兵で刃向かう戦国ロマン

『のぼうの城』

歴史スペクタクル『のぼうの城』が公開中だ。豊臣秀吉が唯一落とせなかった城を描いた和田竜のベストセラー小説を映画化した作品である。これを記念して、11月3日(土)には、野村萬斎(46)、榮倉奈々(24)、成宮寛貴(30)、上地雄輔(33)、山田孝之(29)、平岳大(38)、佐藤浩市(51)、犬童一心監督(52)、樋口真嗣監督(47)がTOHOシネマズ スカラ座で舞台挨拶を行っている。

時代劇だからそんなに見る人がいないかと思えば大間違いで、現在大ヒット公開中。どの映画館に行っても満席で、筆者は5時間後の回を予約してやっと見ることができた。一戦国ファンの立場から書かせてもらっても、この映画は非常に楽しめた。合戦のシーンは迫力満点で見応えがあり、筆者が知る限りでは過去最高のクオリティだったと思う。これまでの戦国時代の作品では城攻めといったら城門など局地的な部分だけしか描かれることがなかったので、その規模の大きさをなかなか実感できなかったが、この映画ではその規模感といい、ごまかしがなく、戦国時代の城攻めがどういったものであったのか、これまで文章だけでしか知り得なかった世界が、そのまま形になって目前に迫ってきて、これこそ合戦そのものだと思った。忍城の戦いの隅から隅まで、まさに全貌が描かれており、2万の兵が城を取り囲む映像の臨場感といい、戦国ファンとしてはこれに感動しないわけがないだろう。

城には複数の入口がある。この映画ではそれぞれの入口を守る大将を配置していたのが面白かった。局地的な戦闘もしっかり描かれていて、丹波守(佐藤浩市)と和泉守(山口智充)がワイルドで見るものの胸をバクバクさせてくれる。鉄砲騎馬が出てきたときには思わず興奮して力が入る。この辺は痛快エンタテインメントなので、かなり派手にやってくれており、最大の見せ場だ。2万の兵にわずか500の兵と2000の領民たちが立ち向かう様は愉快痛快である。

野村萬斎演じる味方の総大将・成田長親と上地雄輔演じる敵の総大将・石田三成。野村萬斎は大河ドラマで応仁の乱の総大将・細川勝元を演じた経験があるが、今回の成田長親役は「あの田楽踊りは野村萬斎でしか演じられない」と言わせるものがあり、魅力あふれるキャラクターになっている。一方、上地雄輔は一度大河ドラマで小早川秀秋を演じていたことがあったが、知将役というのは意外なキャスティング。これが見事なハマり役で、軍配を振っている姿などなかなかかっこいい。かつてない新しい石田三成像を作り上げており、なおかつそれは石田三成のイメージにぴったりと合致するものであった。

余談だが、豊臣秀吉が天下を取れたのは、秀吉が人を動かすのがうまかったからだと言われている。秀吉の部下には、日本一の軍師・黒田官兵衛がいて、日本一の武士・加藤清正がいて、日本一の水軍・小西行長がいて、そして、日本一の奉行・石田三成がいた。石田三成は政治的手腕こそ日本一といえるものであったが、戦下手でさしたる武功がなかった。その三成に武功を与えるために秀吉が簡単に落とせる城をわざと攻めさせたというのが和田竜によるユニークなアイデアで、三成を秀吉に憧れる野心家として描いている。これまで石田三成の関ヶ原の戦いは何度も映像化されて来たが、関ヶ原の戦いの顛末を知っていると、若き頃の三成の合戦がこうしてじっくり見られるのはとても興味深い。

この映画では「総大将」というものが非常にヴィヴィッドに描けていると思う。総大将は本陣でじっと構えて部下に号令するもので、戦国ファンに言わせればそこがいいのだが、この映画ではそれが、ときにかっこよく、ときにコミカルに描かれている。「総大将」を重んじて配下の兵たちが戦う様子は、戦国ファンならしびれるところ。とくに、石田三成が成田長親に最後に言った言葉が泣かせる。これぞ戦国ロマン。今もこのセリフを思い出しただけで目頭が熱くなってしまう。

この映画が輝きを増すのは、これが実話だということである。奇跡の大逆転劇は荒唐無稽なストーリーに見えるが、実際に起きたことだと思うとその感動も大きい。映画の主題歌はエレファントカシマシが担当。「戦国時代なのにロックかい?」と最初は首をかしげたが、見てみて納得。「本当にあったんだ」という歴史の実感が肌で感じられるようなエンドロールで、映画を最初から見て最後にあの映像を見ると非常に感慨深いものがある。行田市でこんなにすごい戦いがあったなんて。埼玉県には他県のようなご当地武将といえるような有名武将こそいないが、これは大きな誇りだろう。日本の武士の生き様を描いた作品でもある『のぼうの城』。「これが日本映画だよ」と世界に堂々と誇れる大作がまたひとつ生まれたと思う。日本映画にこれだけのものが描ける力があるのなら、ぜひ次は関ヶ原の戦いもやって欲しいと思ったくらいである。

3日に行われた舞台挨拶では、合戦にちなんで、登壇者が石田軍と成田軍に別れて玉入れ合戦に挑んだ。結果は成田軍の勝ちだったが、勝敗がどうこうというより、子供のように玉入れに夢中になっていた野村萬斎ら登壇者の満面の笑顔に和まされた。(澤田)

これも知っていると映画がもっと面白くなる
戦国時代の8大籠城戦

籠城側 攻城側 解説
月山富田城
(1562-1566)
× 尼子義久
兵10,000
○ 毛利元就
兵30,000
難攻不落を誇る月山富田城を力攻めで落とすことは難しいと考えた元就は、月山富田城の周りにある支城をすべて攻略し、海上も封鎖して補給路を完全に断ち切った。これを「兵糧攻め」という。義久は飢えのために降伏。この戦い方が戦国時代における城攻めの常套手段となった。
備中高松城
(1582)
× 清水宗治
兵5,000
○ 豊臣秀吉
兵30,000
織田信長の中国方面軍大将として秀吉が毛利輝元軍の前線基地・備中高松城を水攻めにした。しかし、この最中に本能寺で織田信長が明智光秀に殺されたため、秀吉は攻撃を中止。城主・清水宗治ひとりの切腹を条件にして講和という形で終わらせた。戦国時代で最も有名な城攻めということもあり、過去何度も映像化されている。『のぼうの城』では冒頭に迫力の映像で描かれている。
小田原城
(1590)
× 北条氏政
兵82,000
○ 豊臣秀吉
兵200,000
上杉謙信、武田信玄でも落とせなかった巨大な城、小田原城を落とすため、豊臣軍は全国の武将に号令し20万の兵に城を囲ませた。城の回りに兵が憩える町をまるごとひとつ作り、さらに小田原城から見えるところに城まで築いた。これに勝ち目なしと見た北条軍は降伏し滅亡。これをもって秀吉は日本をひとつの国に統一した。この合戦の様子は『のぼうの城』でも描かれている。
忍城
(1590)
○ 成田長親
兵3,000
× 石田三成
兵23,000
この全貌は映画『のぼうの城』で!!
蔚山城
(1597-1598)
○ 日本軍
(加藤清正)

兵10,000
× 明・朝鮮連合軍
(楊鎬)

兵57,000
明・朝鮮が国の威信にかけて日本軍の総大将・加藤清正ただ1人をほふるためにその全兵力をぶつけた戦い。日本と明の最高司令官の直接対決。清正の城はまだ建築途中の段階で裸城に近いものだった。氷点下の凍てつく真冬の籠城戦となりながらも、清正の日本軍は馬を刺身にして飢えを凌ぎ、小早川秀秋の援軍が到着するまで厳しい戦いを2週間生き抜いた。
伏見城
(1600)
× 鳥居元忠
兵1,800
○ 小早川秀秋
兵40,000
徳川家康の東軍と石田三成の西軍が争った関ヶ原の戦い。伏見城は上方で唯一の東軍拠点であり、四面楚歌の状態であった。城代・鳥居元忠は最後の1人の命が尽きるまで2週間も戦い続けた。最後まで降伏せずに城を枕に玉砕した例。
上田城
(1600)
○ 真田昌幸
兵5,000
× 徳川秀忠
兵30,000
東西両軍が争った関ヶ原の戦いにおいて、真田昌幸の居城・上田城は、中山道沿いの城で唯一の西軍側の拠点だった。秀忠は軽くひねりつぶそうとするが、真田昌幸の奇計に翻弄されて長期足止めをくらった。『のぼうの城』同様、寡兵が大軍を破ったもうひとつの例である。
大坂城
(1614-1615)
× 豊臣秀頼
兵100,000
○ 徳川家康
兵200,000
時は江戸時代。徳川の世において豊臣一族だけが反発。仕官先をなくした浪人たちが豊臣に協力し、徳川幕府を相手に戦った。真田幸村が城の外に築いた要塞を前に幕府軍は苦戦。講和へと持ち込んだが、翌年、幕府に城の堀を埋められ、城が防御力を失うと野戦となり、徳川はこの戦いで豊臣を滅ぼした。

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2012/11/05 3:33

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