「ザ・ベストテン」好敵手 チェッカーズ 対 中森明菜 【チェッカーズ編】
丸2日かけて、絶賛発売中の「ザ・ベストテン チェッカーズ -永久保存版-」と「ザ・ベストテン 中森明菜 PREMIUM BOX」の2つのDVD-BOXをまとめて一気に鑑賞させていただいた。前置きで断っておくと、筆者は残念ながら番組をリアルタイムで見たことが一度もない。チェッカーズと中森明菜が全盛のころ、まだ小学校低学年だった筆者は音楽がとにかく嫌いだったからである。しかし、それでも「ザ・ベストテン」の”パタパタ”のランキングボードとミラーから”ジャジャーン”と登場するシーンだけは子供ながらにも強烈なまでに脳にインプットされていたのである。
今回この2つのDVD-BOXを見る気になったのは、純粋に「ザ・ベストテン」という番組がどういう番組だったのかじっくり見てみたかったのがひとつあった。そしてもうひとつの理由として、音楽ネタを記事に書いているうちに、最近になって筆者自身がチェッカーズと中森明菜にぞっこん惚れ込んでしまったことも大きかった。これだけ素晴らしいシングルとLPの数々を出してきたチェッカーズと中森明菜が、テレビでどういう風に歌い、どういう風にトークをしていたのか、それが見たくてたまらなくなり、購入に至ったわけである。いやー、良い買い物をしたもんだ。この記事も、もう発売されてだいぶ時が経つので、幾分か時代遅れな記事になってしまったかもしれない。チェッカーズと中森明菜が活躍していた年代そのものも過ぎ去りし昔の話である。しかし、チェッカーズと中森明菜の音楽は永遠にいつまでも輝き続けている。今週号の特集では、80年代に気持ちだけでもタイムスリップして記事を楽しんでいただければ幸いである。
最初はチェッカーズを中心に書きたいと思う。筆者はずっとチェッカーズは「食わず嫌い」だった。本当にファンの方々には申し訳ない。小学校の頃、クラスメートの女子たちが何かの出し物で「涙のリクエスト」の練習をやたらと楽しそうにやっていたのが子供心に面白くなかったのかもしれない。あるいは、筆者の場合、映画も音楽もその知識の発端は姉から教わったものだが、姉は安全地帯の大ファンでアンチ・チェッカーズだった。その姉の影響も少しあったのかもしれない。しかし、それはまるでローリング・ストーンズが好きだからビートルズは嫌いだと言ってるようなもので、いや、筆者自身も最初はビートルズも食わず嫌いだったが、実際ビートルズも聴いてみたら一発でファンになったわけで、それと同じでチェッカーズもYouTubeで「ジュリアに傷心」1曲を聴いてだけで体中に電撃が走ったように好きになったわけである。藤井郁弥の歌唱力は本当にカリスマ性があって素晴らしく、バンド全体がしっかりまとまっていて、初めてチェッカーズの実力の凄さに圧倒された。というか、チェッカーズを聴いてこれで少しもビビビと感じない人なんて人としての感性を疑ってしまうぞってレベルで、好きじゃない人は単純にまだ聴いたことがないだけじゃないかって思うくらい。そんなわけで、筆者は「ジュリアに傷心」がきっかけで一気にのめり込んでいったのである。
先に中森明菜のDVD-BOXの方から見させてもらったが、すぐに気づいたことは、なぜかいつもチェッカーズに1位を阻止されているのである。これは偶然とは思えない。中森明菜は後々「ベストテンの女王」の異名をもつ大スターで、すでに「セカンド・ラブ」と「禁区」で番組内では無敵ともいえる存在であった。圧倒的な人気でその勢いを制することができる実力のあるアーティストは近藤真彦と松田聖子くらいしかいなかった。しかし、近藤真彦と松田聖子が時期的に中森明菜とランキングで争ったことはあまりなく、中森明菜の独走状態が続いていた。そこにこつ然と現れたのがチェッカーズである。驚くかな、チェッカーズの「涙のリクエスト」から「Room」までの17枚のシングルが、ことごとく中森明菜の「北ウイング」から「Liar」までの17枚のシングルと発売時期を全く同じ時期にぶつけてきているのである。いや、ぶつけたつもりはなかったのかもしれない。単純に音楽を作るペースが完全に一致していただけなのかもしれない。それでも本当に実力のあるこの両者がまったく同じ時期にシングルを発売したことで、「ザ・ベストテン」という番組を大いに盛り上げたことは間違いない。中森明菜が1位になれば、その翌週にチェッカーズが1位に躍り出る。毎週1位の座を争ってこの両者が激突する構図が番組を熱きものにしていたことは想像に難くない。
番組の歴代記録では、中森明菜は69週で1位になっており、無論これは番組最高記録。そして第2位が実はチェッカーズの51週なのである(松田聖子は44週の3位、近藤真彦は40週の4位)。中森明菜にとってチェッカーズは蛇にとってのマングースのごとき存在だったかもしれない。中森明菜はチェッカーズがいなければもっと記録をのばせただろう。逆にチェッカーズは中森明菜がいなければ歴代1位だったかもしれない。しかし、それでは面白くない。両者がお互いに競い合うことで、面白い音楽が出来上がったとも言えるのではないだろうか。熱心なファンなら「それは違う」と否定されるかもしれないが、それも結構。これもひとつの見方。ビートルズにはビーチ・ボーイズという好敵手がいたことであれだけのロック・バンドになれたのだし、お互いに好敵手であることを認め合っていた。中森明菜とチェッカーズも、言葉にはしないけれども、お互いに好敵手といえる存在だっただけに、あれだけの人気を保ち続けたのだと、筆者はそう思っている。
中森明菜の「北ウイング」は初登場からいきなり1位。その後も無敵の独走状態が続いた。その人気が失速してきた頃に、突如現れたのがチェッカーズの「涙のリクエスト」だった。84年の3月には中森明菜とチェッカーズの順番が交差している。その後、「涙のリクエスト」は「セカンド・ラブ」の中森明菜を彷彿とさせる無敵の強さを見せつけ、新たなベストテンの花形の登場を予感させた。
チェッカーズの「涙のリクエスト」の連続1位の記録は、中森明菜の「サザン・ウインド」によって打ち破られた。このとき、チェッカーズは3曲が同時にランクインするという快挙を成し遂げていたが、そのときの1位にいたのが中森明菜だったわけで、これはチェッカーズファンには悔しい話である。そして、中森明菜の「サザン・ウインド」は、早くもチェッカーズの新曲「哀しくてジェラシー」によって引き下ろされる。そんな中、中森明菜は早速新曲「十戒」を投入した。両者が最も激しくぶつかり合っていた時期である。
中森明菜の「十戒」は、これも「セカンド・ラブ」に匹敵する独走状態が続いていた。このまま記録更新かと思われたが、それを妨害したのがチェッカーズの「星屑のステージ」であった。「星屑のステージ」は安定した人気を保ち、中森明菜は1位を奪われた後2位を走り続ける辛酸をなめることに。
続いて、中森明菜は「飾りじゃないのよ涙は」を発表。これも順調に順位をのばして行くが、それと時期をほぼ同じくしてチェッカーズは「ジュリアに傷心」をぶつけてくる。後発の「ジュリアに傷心」が先に1位に躍り出たが、中森明菜も負けてはおらず、その翌週に1位を奪う。かと思うと、またチェッカーズが1位を奪い返す。その後、中森明菜は2位から上にかけあがることができなかった。これまで1位を連発してきた中森明菜にして「飾りじゃないのよ涙は」は意外にも、たった1度しか1位を取れなかったのである。しかし、「ジュリアに傷心」の9週連続1位という記録だけはかろうじて阻止することができた。チェッカーズファンにとっても明菜ファンにとってもお互いに悔しさが残る勝負となった。
前作同様、中森明菜とチェッカーズがまったく同じ時期にシングルをぶつけてきて、激しいバトルを繰り広げた。結果的に「ミ・アモーレ」はレコード大賞を受賞し、中森明菜の代表作といえる作品になったが、残念ながら「ザ・ベストテン」では1位は1回だけ。これを制止していたのがチェッカーズの「あの娘とスキャンダル」だったわけで、中森明菜ファンにとっては敵ながらアッパレといったところか。
中森明菜が先にシングルを発表し、それにチェッカーズが後から追いかけるというパターンが定着したが、中森明菜の「SAND BEIGE」はチェッカーズの直前にサザンオールスターズの健闘もあり、一度も1位を取れない屈辱を味わった。その後、チェッカーズは「俺たちのロカビリーナイト」で安定した強さを見せつけた。
中森明菜の「SOLITUDE」もチェッカーズの「神様ヘルプ!」も、時期をほぼぶつけてきてはいるが、曲そのものは悪くないのに、お互いに不振だった印象がある。中森明菜は安全地帯と時期がかぶったことで1位を逸し、チェッカーズはかろうじて1回だけ1位に食い込んだ。
これはもう中森明菜の圧勝! 中森明菜は自身の最高傑作となった「DESIRE」をひっさげ、無敵の強さでばく進し、もはや雲の上の存在に。チェッカーズの「OH!! POPSTAR」は完全に包み込まれてしまった。こうしてグラフで見るとまるでチェッカーズが完敗を喫したように見えるが、これでも4週も2位で健闘しているのである。
色っぽい衣装で登場した中森明菜の「ジプシー・クイーン」の魅力には、チェッカーズのアンセムソング「Song for U.S.A.」もさすがに敵わなかったようだ。ちなみに、中森明菜と藤井郁弥は誕生日が2日違い。誕生日の時期に両者のシングルが激突したことで、番組内では一緒にロウソクを吹き消す粋な演出もあった。
ここからチェッカーズはシングルの時期を中森明菜とは3〜4週ほどずらすようになったので、激突する週も以前よりも減ったのが残念。中森明菜の「Fin」とは1週だけ激突しているがチェッカーズが負けている。チェッカーズの「NANA」はNHKで放送禁止になったこともあり、中森明菜とバトンタッチするように1位を独走して大ヒットを記録。チェッカーズはこの曲から作曲と演奏にも力を入れ、よりライブ感を打ち出し、ポップ・グループから本格的なロック・バンドへと成長を遂げ、見事に成功した。米国のモンキーズも真っ青の実力である。
これも前作同様、1ヶ月も時期がずれているので、中森明菜の「TANGO NOIR」とチェッカーズの「I Love you, SAYONARA」が激突したのは1週だけ。1位の座を譲るように交代している。チェッカーズが時期を中森明菜と1ヶ月ずらしたことで、中森明菜には本田美奈子、チェッカーズには少年隊という別のライバルが登場した。ちなみに筆者のiPodの再生回数を見ると、中森明菜の中で最も何度も聴いている曲は「TANGO NOIR」で、チェッカーズの中で最も何度も聴いている曲が偶然「I Love you, SAYONARA」だった。
これも時期を1ヶ月ずらして間接的に戦った感じである。お互いがぶつからないことで、順位が非常に安定している。しかし、番組としてはやはり中森明菜の「BLONDE」とチェッカーズの「WANDERER」の激しい1位争奪戦が見たかった気もする。
これは中森明菜の「難破船」の圧勝。「ザ・ベストテン」のまるでレギュラーであるかのように中森明菜は君臨していた。チェッカーズの「Blue Rain」は振るわず、「難破船」の圧倒的強さに遠く及ばなかった。ただし、この時期、チェッカーズは「CUTE BEAT CLUB BAND」という別のバンド活動も並行しており、そちらのバンド名義の「7つの海の地球儀」も「Blue Rain」と同日に同時ランクインしていたことを付け加えておく。
中森明菜とチェッカーズの17枚のシングルの中で、「AL-MAUJ」と「ONE NIGHT GIGOLO」だけが発売時期が2ヶ月も違っている。天敵がいなくなった中森明菜は、余裕の表情で1位をキープしていたが、チェッカーズは残念ながら最高位3位止まり。光GENJIの巨大ムーブメントが到来し、チェッカーズはライバルを中森明菜から光GENJIへとシフトせざるを得なくなった。
これも時期がずれているため直接対決できたのは3週だけ。ただし1位争いとは別次元の戦いだった。チェッカーズの前作が大人の男性の魅力を打ち出していたことに対抗していたのか、中森明菜の「TATTO」は初めてミニスカートの衣装で登場してファンをドキドキさせた。チェッカーズの「Jim & Janeの伝説」はライブ感あふれる作品だった。
先に中森明菜がシングルを出して、後からチェッカーズが追いかけるパターンの逆のパターン。16枚目で初めてチェッカーズが中森明菜よりも先にシングル「素直にI'm Sorry」で勝負をかけてきた。これに中森明菜は「I MISSED "THE SHOCK"」で対抗。中森明菜がチェッカーズのシングルの発売時期を合わせて勝負に応じてきた。光GENJI、少年隊、長渕剛も含めて「ザ・ベストテン」の”BIG 5”といえる5大アーティストが同じ週に対決するという豪華さであったが、相手が悪い時期に出してしまったもので、両者とも1位の座を長渕剛に譲っている。
「ザ・ベストテン」番組終了が迫っている時期のグラフがこれ。先にチェッカーズが「Room」を発表、続いて中森明菜の「Liar」が1ヶ月の時期を置いて追い抜いている。チェッカーズの1位を阻んだのは光GENJI、中森明菜の1位を阻んだのは田原俊彦だった。チェッカーズは続いて「Cherie」を投入してくるが、好敵手・中森明菜の姿はそこにはなかった。
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曲名 | 年 | 最高 | 回数 | ジャンル | 順位レースで激突した相手 |
---|---|---|---|---|---|
涙のリクエスト | 1984 | 1位 | 14 | ポップ | 中森明菜「北ウイング」 |
ギザギザハートの子守唄 | 1984 | 5位 | 5 | ポップ | 中森明菜「サザン・ウィンド」 |
哀しくてジェラシー | 1984 | 1位 | 13 | ポップ | 中森明菜「サザン・ウィンド」 |
星屑のステージ | 1984 | 1位 | 11 | ポップ | 中森明菜「十戒(1984)」 |
ジュリアに傷心 | 1984 | 1位 | 12 | ポップ | 中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」 |
あの娘とスキャンダル | 1985 | 1位 | 11 | ポップ | 中森明菜「ミ・アモーレ」 |
俺たちのロカビリーナイト | 1985 | 1位 | 11 | ポップ | 中森明菜「SAND BEIGE」 |
神様ヘルプ! | 1985 | 1位 | 7 | ポップ | 中森明菜「SOLITUDE」 |
OH!! POPSTAR | 1986 | 2位 | 7 | ポップ | 中森明菜「DESIRE」 |
Song for U.S.A. | 1986 | 2位 | 8 | ポップ | 中森明菜「ジプシー・クイーン」 |
NANA | 1986 | 1位 | 6 | ロック | 中森明菜「Fin」 |
I Love you, SAYONARA | 1987 | 1位 | 7 | ロック | 少年隊「stripe blue」 |
WANDERER | 1987 | 1位 | 8 | ロック | 少年隊「君だけに」 |
Blue Rain | 1987 | 4位 | 3 | ロック | 少年隊「ABC」 |
ONE NIGHT GIGOLO | 1988 | 3位 | 4 | ロック | 光GENJI「パラダイス銀河」 |
Jim & Janeの伝説 | 1988 | 4位 | 7 | ロック | 光GENJI「Diamond ハリケーン」 |
素直にI'm Sorry | 1988 | 1位 | 7 | ロック | 光GENJI「剣の舞」 |
Room | 1989 | 2位 | 9 | ロック | 光GENJI「地球を探して」 |
Cherie | 1989 | 4位 | 6 | ロック | 光GENJI「太陽がいっぱい」 |
チェッカーズ メンバー
武内亨(ギター)
大土井裕二(ベース)
徳永善也(ドラムス)
藤井郁弥(リードボーカル)
藤井尚之(サックス)
鶴久政治(ボーカル、キーボード)
高杢禎彦(ボーカル、パーカッション)
【中森明菜編】は後日アップ予定です。気長に待っていて!
(文・澤田英繁)
2012/07/30 2:22