『私の優しくない先輩』アニメ界の人気作家・山本寛が実写映画を作る理由
『私の優しくない先輩』の山本寛監督(35)が、7月15日(木)、デジタルハリウッド大学・秋葉原メインキャンパスで行われた特別試写会に出席し、制作の裏側を語るメイキングセミナーを行った。
山本寛は、『涼宮ハルヒの憂鬱』、『らき☆すた』、『かんなぎ』でアニメ界で大きなムーブメントを巻き起こした人気アニメ作家である。週一秋葉に入り浸っているような人なら、もはやその名を知らない人はいない。日本のオタク文化も支えたこの大人物が、今回挑んだのは初の実写映画だ。アニメ界の人気作家が実写映画を作るということで、アニメファンの間では「なぜ実写をやるのか?」という反発ともとれる意見もあった。
これについて山本監督は長々と説明してくれた。理由は単純なものではなかったが、最たる理由としては、もともと『私の優しくない先輩』の脚本ありきで、その世界を表現するためには実写が最適と判断したからである。
「実写をやったことについてはよく反論が来るんです。この作品もアニメにして自分のテリトリーにするという手もあったんですが、アニメにするのをやめたのは合わないからです。妄想のシーンとか、チープな書き割りも、アニメだとただの絵になっちゃって表現にならない。妄想と現実とを描き分けるためには実写にするしかなかったんです」
さらに山本監督はアニメも実写も映像の演出という意味では同じだという。
「内容によって、どの表現を選ぶかの問題です。アニメも実写も演出ということには変わりはありません。油彩水彩関係ないんです。水彩の人が今回初めて油絵を書きましたみたいな感じです。使ってる言語は違ったけど、言葉のハードルを越えれば、映像作りという意味では一緒です」
アニメファンにはちょっと寂しい気もするが、山本監督自身はそんな風潮には反発している。
「アニメは村社会なんですよ。アニメをやっていた人が出てっちゃうと、なんで出てっちゃったんだと裏切者呼ばわりされちゃうんです。CMから映画の世界に行っても裏切者という人はいないでしょ。アニメだけが言われるんですよ。僕はこれに対する強烈なアンチテーゼとして活動しようと思います」
不況不況といわれる現在。日本のアニメは世界的に活況のようにも思えるが、実際はアニメ界もかなり弱ってきているとのことで、山本監督は不安を隠せないようだ。
「アニメって、市場で言えば非常に少ないんです。10万人市場だと言われています。各クールで作品を何本か出すと10万人のお客さんが食い合うんですよ。各クールごとに勝つ作品が決まってるんです。1本勝てば他は壊滅なんですよ。去年はおうおうにしてくっきりと結果が出ました。1作品勝ち組が生まれてあとは壊滅でした。勝った会社は鼻高々に「アニメは売れる」とアピールするんですけど、お前らだけ売れてもしょうがないんだという話なんです。チキンレースをして何人生き残るかというのでは業界全体は疲弊してしまうので、食えなくなった人間はアニメから離れていいのかという話です。そのまま残った人間でアニメを作ってもいいんですけど、僕はそれは健全だとは思っていません。不景気も長引いているので、愚痴になっちゃいますが、本当に厳しいんです。うちは幸い仕事が続いているんですけど、いろいろなところが仕事を失っています。負け組になったら会社を畳むか縮小するしかない。この業界から足を洗って復帰できたらいいんですが、なかなか復帰もしにくいでしょう。そうなったときに誰が面倒みるんでしょうか。だからアニメだけにこだわっていてはいけないんです。これでカチンと来た人はこの業界に来なくていいです。正直言って食っていけないですから。一生消費者のままでいた方が幸せですよ。それくらいの覚悟をもって入っていただかないと絶対後悔しますよ。それくらいこの業界は弱ってます。本当に不景気なので、多分どの業種でも同じようなこと言うと思いますよ」
山本監督は会社を経営しているため、監督でありながら、プロデューサーの視点で映画を語っていたのが印象的だった。
続いて作品の内容について。思春期の恋を描いた青春コメディ映画だが、すべてのシーンに川島海荷演じるヤマコのモノローグが入るのが特徴である。何のためらいもなく最初から最後までヤマコの心象風景を描くことに徹底しているため、わかる人にはわかるが、一度ついてこられなかったら二度とついてこられないかもしれない。ヤマコの赤裸々な心象風景は、懐かしくもあり、どこか痛い。笑って見ていたつもりが、後からなんだか胸がしめつけらるような気持ちになってくる不思議感覚が満載だ。「自分の恥ずかしかった少年時代に重ね合わせて追体験できる人こそこの映画の真の観客です」と山本監督は語る。
「僕の思春期がなまなましく描かれていることに最近気がつきました。ナレーションとか誰が聞いてもうざいと思うんです。聞きたくない心象風景をそのままぶちまけました。途中で帰りたくなるような、やっちまった感満載の映画になったけど、そこまで自分の恥ずかしい部分を赤裸々に吐露しないと表現にならないと思うんです。これを高畑さんは『赤毛のアン』でやってみせましたが、あれと同じです。自分でもいらいらするような最低の少女が描けましたが、これに共感できなきゃ終わりですよね」
デジハリでは、これを見たある生徒が『時をかける少女』と比較していた。一人の若手女優の魅力だけを取っても作品として成立している点では確かにそうかもしれない。『時をかける少女』の原田知世をメルヘンと例えるなら、川島はファンタジーといったところか(ある意味サイケでもあるが。監督はセカイ系と表現していたことを補足しておく)。ラストでは川島海荷が広末涼子の懐かしの名曲「MajiでKoiする5秒前」をカバーし、堂々と歌って見せるが、このラストは本作最大の見せ場になっており、カバー曲で締めくくるエンディングとしては『ラブ&ポップ』の「あの素晴らしい愛をもう一度」にも匹敵する名シーンになっている。山本監督本人は意外にも歌で終わることには当初は反対していたという。
「エンディングをダンスにしてくれといったのは宇田プロデューサーだったんです。僕は絶対いやでした。だからエンディングをどの曲にするかは僕にはどうでもよかったのです。そしたら宇田さんがじゃあこれでと「マジコイ」になりました。今思うとダンスで締めというのは本当に相応しかった。この作品に一本串でぶっさす要素が何もなかったので、ちゃんとテーマ性のあるまさにラストシーンになりました。最後に踊ってるのがさっぱりわからないと思うんだけど、わかる人はエンディングを聞くたびに涙するという、もう「マジコイ」を涙無しには聞けなくなるという評もありました。これはPVとして独立しているわけじゃなくて、ちゃんと映画の一部として機能しているので、後付けで我ながら感心しました」
キャスティングについては、川島海荷も共演の金田哲(はんにゃ)も4・5人目だという。二人とも宇田プロデューサーが人選した。
「最初に僕が考えてたキャスティングだと、全然違ったカルト映画になってたでしょうね。僕は『恐怖奇形人間』みたいな映画になると思ってたんですけど、意外にメジャー感のある映画になりましたね。川島さんと金田さんに決まってから初めてこういう映画になるんだというイメージができあがりました。若手の場合、仕事をしていて、最初は張り切っていても、ある線までいくと急に元気がなくなるんですが、川島さんは逆で最後にもう一回撮ろうかと言ったら逆に上がるタイプなんです。だから川島さんのシーンはほとんどラストテイクのものを使ってます。川島さんは「私プライドを捨てたんで」と言ってくれて弱音をはかずにやってくれました。彼女の口癖は「大丈夫です」でした。実際は過密スケジュールでみんな全然寝てなくて、全然大丈夫じゃなかったんですけどね」
最後に生徒から「どういう人が業界でやっていけるのか」という質問があった。山本監督は「腰が低くて何でもやる人が残ると思う」と回答。「早くて、うまくて、低姿勢の人が残ります。アニメの世界には社会に適応できない人間的にも残念だなあという人が多いです。それは必ずしもいとは思わないんだけど、最終的にはその世界でも生き残っていくだけの面の皮の厚さを持っているかどうかなんです。どんな実力のある方もくじけるときはやめるんですよ。有名な監督でもやめちゃうときはやめる。人間的にダメでも、最後は面の皮が厚ければ生きて行けるんです。心の病でくじけたら終わりですよ。逆にいうと、そこでくじけなかったら実力はともあれこの業界でやっていってます。まず面の皮の厚さ、ある意味「無神経さ」といっていいですね。ずうずうしくてそれこそ殺してやろうかと思う人もいたけど、終わったあとに「良かったね、次もやるか」と思える無神経さがある人が残っていくような気がします」と語った。
山本寛監督最新作『私の優しくない先輩』は、ファントムフィルムの配給で現在公開中。(文・澤田英繁)
2010/07/20 1:25