『ALWAYS』から『RAILWAYS』ができるまで
6月17日(木)、秋葉原のデジタルハリウッド大学本校にて、『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』の阿部秀司製作総指揮と、錦織良成監督を招いて公開講座が行われ、同プロダクションの大ヒット作『ALWAYS/三丁目の夕日』の誕生から『RAILWAYS』ができるまで、製作秘話が語られた。
日本映画のヒット作の多くに関わって来たROBOTという制作プロダクションがある。去年『つみきのいえ』が米国アカデミー賞を受賞したとき、加藤久仁監督が「ドモアリガト、ミスターROBOT」とスピーチしたのは記憶に新しい。この会社をたった一人で設立した人物がこの人、阿部秀司エグゼクティブプロデューサー(以下、阿部P)である。
阿部Pは、デジハリ大学の生徒に「ROBOTという会社を知らない人、手を挙げて」と聞いてみたところ、過半数の生徒が手を挙げたのを見てちょっとがっかりした表情を見せた。「びっくり。俺、ここにいる人、みんな知ってると思ってたよ。『踊る大捜査線』を作った会社ですよ。今やってる『フラワーズ』もROBOTが作ってます。『つみきのいえ』は皆知ってるよね? 映像業界を志すなら『つみきのいえ』を知らない人はここから出ていった方がいいぞ」。ROBOTの話になると目が輝き、本当に自分の設立した会社を自慢に思っている様子が伝わってきた。
阿部Pは大学卒業後、12年間広告代理店に勤め、退社後に制作プロダクションのROBOTを設立した。映像の世界に目覚めたきっかけは黒澤明の『天国と地獄』を見たことだった。「めちゃくちゃ感動した。あの映画を見てこっちに来たかというくらいインスパイアを受けた。今見てもすごい映画だから強く薦める」とここでも目を輝かせる。ROBOTは1994年に第一作となる『Love Letter』を制作。今日までの16年間に50本以上の映画を制作した。阿部Pが「彼だけは人間性を超越した本当の天才」と賞賛してやまない岩井俊二はじめ、ROBOTは多くの監督たちを育てた。阿部Pは「監督を育てることはプロデューサーの役割のひとつだ」という。VFXディレクターの山崎貴に畑違いの監督を任せてみたのも阿部Pだった。
山崎監督が作った『ALWAYS/三丁目の夕日』はROBOTの代表作。この日、阿部Pは『ALWAYS』を企画したいきさつについて詳しく語ってくれた。
「僕は小学3年のとき建築中の東京タワーを見てるんです。それが現体験として物凄く心に残っていました。東京タワーは今もそこに立っているし、東京タワーは50年経ってもそこにあるんですけど、建設中の東京タワーはそのときだけでしか見られないものなんです。みんなが見ているのはできちゃった後の東京タワーなんです。今スカイツリーを建設中ですが、一度見ておいた方がいいぞ。僕は建築中の東京タワーを映画にしたいと思いました。でもタイトルを『東京タワー建設物語』としたところで誰も見てくれない。じゃあ『三丁目の夕日』でやればいいんじゃないかと言われて、『三丁目の夕日』はいまだにレトロでやってる漫画で、それとくっつければ映画になるんじゃないというところから始まったんです」
あの建設中の東京タワーのVFX映像は、まだこの時代に生まれていなかった世代が見ても感動的なものだった。ところで、『RAILWAYS』は公開前からタイトルが似ていることが指摘されている映画だが、続編でも何でもなく、ただの偶然だという。「ごめんね。ひっかけたつもりじゃないんですよ。本当ですよ。タイトルを見て自分もあれっ?と思っちゃった。タイトルがオレンジ色なのも電車がオレンジだから偶然の一致なんです」と阿部Pは笑う。副題については『余命1ヶ月の花嫁』に倣って『49歳で電車の運転士になった男の物語』というすぐに内容がわかる具体的なタイトルがつけられた。
よく映画で「○○製作委員会」という表記を見掛けるが、これについての説明もあった。「映画は優先順位をつけることが一番大変なことです。我々はまず松竹と組みました。配給が決まることで映画はほぼ完成したといえます。続いて、テレビ局と組むことは大きなファクターでして、どこのテレビ局と組むかというのがある。テレビが映画をやるのは、テレビは普段映画枠で放送する映画を買ってるんですが、そこにかけるために製作に関わるのがもともとの発想だったんです。今映画事業がテレビ局のビジネスになっています。我々はテレビ局と組むことでプロモーションが容易にできます。『RAILWAYS』も「徹子の部屋」でプッシュしてもらいました。小学館とも組みましたが、小学館はノベライズしてこれもビジネスになる。新聞社、広告代理店と組んでも、それぞれが持ちつ持たれつの関係になるんです。これらが集まって”製作委員会”という形になるんです」ということだ。
続いて、製作者の役割は何かという問いがあると、阿部Pは「製作者はクランクインするまでの仕事が主なんです。クランクインしてからは現場に来てもやることがないし、何しに来たのと思われる。製作者の役目は差し入れをするってことかな(笑)。あとはちょっとだけ出演かな。”縁起”を担ぐということで”演技”をする。できてからは宣伝が大変。宣伝にもこれだという解答がないから苦労します。製作者は何でもする人。いなきゃいけない人です。製作者ってすごく広範囲な言葉ですね」と語った。
VFX満載の『ALWAYS』とは違って、『RAILWAYS』では一切VFXを使用していない。中井貴一があたかも電車を運転しているように見えるところが鉄道雑誌関係者などの間で話題になっているが、錦織監督は「インタビューで何度も聞かれましたけど、本当に運転してないんです。CGも使ってないですが、CGということにしといてとお願いされたこともあります。これは撮影のトリックということです」と話し、どうやって撮影したのか、あえて種明かしはしなかった。
『RAILWAYS』のシナリオは錦織監督の自前。10年間温めた完全オリジナル脚本である。錦織監督は「今の映画は原作ものばかりでオリジナル作品が少ないんですね。ましてや中年を主役にしたオリジナル映画なんてまったくない。松竹が原作ものじゃない映画を上映するのは何十年ぶりになるってどこかで聞いたことがありますよ。必殺の思いで企画を持って行きましたけど、松竹にとってはチャレンジだったと思います」と話す。阿部Pは「日本では中年を主役にした映画は売れないといいますけど、そうじゃなくて、我々が中年に向けた映画を作ってこなかっただけなんです」と付け加えた。
阿部Pは今年の3月31日をもってROBOTの代表取締役を辞めた。その理由は『RAILWAYS』の中井貴一を見て、それを自分に重ね合わせたからだという。「自分も去年60歳になったけど、社長というのは定年もなく、自分で辞めると言わない限り辞められないんですね。それで、このまま70歳になっても社長室にいるのかなと思っていたら、一番最初の心境になったんです。ちょっと後ろ髪をひかれるかなとは思ったのですが、そうでもなくて、スパっと辞めました。映画って本当に素晴らしいですよ。ただ、映像を作るからには人に何かを与えなきゃいけない。もしこの映画を見てちょっとでも家族に電話をしたくなったなら作った意味はあったんです。僕もこの映画を作らなかったら社長はやめなかったと思う」。映画一本が、人の人生を大きく変えた。阿部P本人にとってもこれは大きな意味のある映画だった。
最後に業界人を目指す生徒たちに向けて阿部Pからこんなアドバイスがあった。
「まずは映画をもっと見てほしいですね。例えば横綱になりたいとしても自分の体を見ればなれるかなれないかはわかりますが、映画監督といったら誰でもチャレンジできるから難しいんです。向き不向きもありますが、頭の中を見る鏡がないとなれるかもと思う。客観的に自分を見られるようにならなきゃなれない。みんないつもと違う本を読んだ方がいい。食わず嫌いに終わらず、嫌いなものにも触れることは大事。好きな映画を見て好きな本を読んで自分の欲求を満たすだけじゃ駄目。嫌いなものに触れることを勉強という。映画を作る上で僕がこだわっているのは人間性です。自分をどうやって引き出して、一番パフォーマンスできるものを見つけられるか、そこは大事です」
現在61歳。阿部Pが映画について語る姿は今も大学生のように熱い。(取材・澤田英繁)
2010/06/20 2:03