中華学校の子どもたち
2008/日本/ブロードメディア・スタジオ/86分
監督:片岡希
http://www.chukagakko-movie.jp/
日本語と中国語、どちらも話す子どもたち。
様々な政治と歴史の苦悩を経験してきた華僑・華人の人々。
日本の中華学校で学ぶ彼らの子どもたちは、無邪気に「現在」を生きている。
2008年北京オリンピック、2009年横浜開港150周年、2010年上海万博...。
中国と横浜は今まさに大きな節目を迎えつつある。
日本の中華学校で学ぶ子どもたちの「日常」と、
中国と日本の「未来」を映し出すドキュメンタリー
在日華僑・華人の教育と文化の伝達の場として、初めて日本に中華学校が横浜に設立されてから百余年。
現在、日本全国には中華系学校が僅か5校、その中の2校が横浜にある。山手の丘にある大陸系の横浜山手中華学校、横浜港沿い山下町・中華街内にある台湾系の横濱中華學院。
本作では、大陸系の横浜山手中華学校小学部1年生の日常を3年間にわたって記録する。
日中戦争、中国共産党、毛沢東、そして文化大革命。様々な政治と歴史の苦悩を経験してきた華僑・華人の子どもたちは今、無邪気に学校での日々を過ごしている。中国語の話せない華僑・華人の子供も多くなっている今、日本語と中国語の混在使用が子どもたちの間でコミュニケーションの主流になりつつある。中華学校の子どもたちを記録することは、横浜、華僑・華人の人々の歴史を記録することでもある。子どもたちの愛らしい表情から、中国と日本の「過去」と「現在」そして「未来」が見えてくる。
撮影のきっかけ
北京電影学院時代(99〜01年)、授業の一環としてプロパガンダ映画を見ることがあった。平和な村に日本軍がやって来て村人を惨殺。その後立ち上がった村民と八路軍が日本軍を逆に殺害、という毎度変わらぬ内容だった。ところが、それは度々にわたり700余名収容していた中国人学生を熱狂させた。「殺してしまえ!」「日本鬼子!」という轟音と拍手と喝采のなかで、私は日本人であることを自覚することになる。一つの映画、一つの出来事、であるはずなのに、育った国、受けた教育が違うだけで人の思想や視点はこうも変わる。愛国教育を受けた彼らと、日本の学校教育を受けた同世代の私。特に教育は、よくも悪くも人の思想を大きく変えるのだと実感した瞬間だった。そんな理由で、私の中には日本にある中華学校に対する印象も、少なからず電影学院と重なっていたところがある。日本に住み日中の架け橋と成り得る華僑華人の人々は一体どのような教育を受けているのか。その国へ行き、その国の人と接して生活をともにすれば、自ずとその人が住んだ環境や受けた教育は見えてくる。中華学校へ訪れてみようという素朴な思いが、この作品の始まりだった。
子どもたちを記録すること
本格的な撮影は図工室から始まった。私たちが教室へ入ると室内の空気は研ぎ澄まされ、子どもたちはカメラを意識した行動を始める。『カメラが来た!』。彼らの心いっぱいに広がったこの意識はなかなか消えず、教室の中で、カメラはずっとカメラとして存在し続けた。取材をしながら考えていたのは、カメラを出すタイミングだった。ただの取材者として切り取れるものは限りなく少ない。
ある日、私たちはカメラを持って学校に行くことをやめた。そしてその日から、私一人図工の授業に参加することにした。先生が別の場所へ用具を取りに行くときなど、残された私は嫌でも子どもたち一人一人の性格を把握する。誰がどういう動きをして、騒いで、喧嘩をして......、という一連の動きも、いつしか自然と頭に入っていた。何より教室に私がいても、子どもたちは何の気も遣わない。図工室のどこに何が置いてあり、先生がどのような行動をし、授業を進めていくか、ということも気づけば分かるようになっていた。この時点で、スタッフにも授業へ参加してもらうことにする。私を含めたスタッフ3人とも子どもたちと分け隔てなく扱われ、時には子どもたちに注意されながら、絵を描いたり、唄ったり、喋ったりする毎日。
子どもたちの何気ないお喋りも、その生活環境や価値観を私たちに教えてくれる大切な言葉だった。
そして、撮影再開の日。子どもたちは、カメラも気にしなくなっていた。カメラの至近距離で取っ組み合いの喧嘩をしたり、あくびをしたり、作品制作に没頭したり、まさに多種多様な個性を見せてくれたのだった。