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2011/日本/132分
出演:西島秀俊 常盤貴子 菅田俊 でんでん 鈴木卓爾 笹野高史 
監督:アミール・ナデリ
脚本:アミール・ナデリ、アボウ・ファルマン、青山真治、田澤裕一
製作:定井勇二、ショーレ・ゴルパリアン
プロデューサー:エリック・二アリ、エンギン・イェニドゥンヤ、レジス・アルノー
撮影:橋本桂二
美術:磯見俊裕

偏差値:60.7 レビューを書く

映画のために死ね [90点]

主人公の秀二は無名の映画監督で、作中では3本の映画を撮ったとされていますが、それがどんな内容の作品なのかはまったく語られていません。

ただ秀二は日々拡声器を持って『今の映画は商業主義に毒されている。映画は芸術であり娯楽である。シネコンで上映しているものは映画に対する冒涜だ。本物の映画を観ろ。』と街頭演説を繰り返していることから、彼がどのような映画を撮ろうとしているのかは想像がつきます。

秀二は定期的に映画の上映会を開いています。本来なら自分の新作を観てもらいたいのでしょうが資金がなく映画が撮れないため彼が本物と認める過去の名作を上映しています。

そんな秀二にヤクザだった兄が亡くなったとの知らせがありました。兄の残した借金の1254万円は秀二が映画を作るために借りていたもので、取立屋から2週間で返済するよう迫られます。

当然そんなお金はなく、秀二が考えついたのは殴られ屋ですが、1254万円は殴られて稼ぐのには文字通り気の遠くなる金額です。

果たして秀二は期限までに1254万円を稼ぐことができるのか。それともその前に死んでしまうのか。

秀二が殴られる場所の選んだのは兄が殺された所と同じ場所で、ヤクザから諸場代を取られてもそこ以外では殴られ屋をやろうとはしません。

そして普通なら到底耐えられないであろう殴られる痛みは彼が本物と認める過去の名作の数々を思い浮かべることによって耐え続けます。

その姿は自分が映画を撮るために命を落とした兄への謝罪であるようにも見え、思うような映画が撮れないことを映画の神に対して祈り贖罪しているようにも見えます。

この秀二に扮している西島秀俊は、これまで演じてきたものとは全く違う役柄ですが、殴られても殴られても映画のことを思い浮かべながら痛みに耐え、何度も立ち上がる姿には鬼気迫るものがあり、秀二の映画に対する狂気と情熱に圧倒されます。

この作品を映画愛に溢れた素晴らしい作品と感じる方もいれば、殴られる描写が延々と続くためか、殴られ続けるだけの意味不明な作品と受けとめた方も多いようで、感想が両極端に分かれているようです。

本作の舞台は日本で出演者も西島秀俊のほか常盤貴子、でんでん、笹野高史などすべて日本人ですが、監督はイラン出身のアミール・ナデリで、製作その他にも外国人が名前を連ねています。

日本を舞台にしたこのような映画愛に溢れた作品を外国人スタッフが作ったことに多少の悔しさを感じながらも、外国人スタッフだからこそここまで思い切った描写ができたのではないのだろか、とそんなことを考えてしまいました。

賛否両論はありますが、観て損はない作品だと思います。

2012/04/09 14:56

kira

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