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博士の異常な愛情

Dr. Strangelove: Or, How I Learned To Stop Worrying And Love The Bomb
1964/アメリカ・イギリス/94分
出演:ピーター・セラーズ ジョージ・C・スコット スターリング・ヘイドン キーナン・ウィン 
監督:スタンリー・キューブリック

偏差値:65.0 レビューを書く

博士の異常な愛情 [100点] [参考:2]

※ネタバレを含むレビューです。
B-52戦闘機の空中給油のモンタージュ映像を背景に、下手糞な手書きのタイトルバックが表れる冒頭から、この恐怖のシニカルコメディはトップスピードで飛ばします。よく考えられたプロットに則って無駄のないシーンが連続するために、この最初の勢いが衝撃のラストまで全く減速することがありません。元々の原作はピーター・ジョージの「赤い警報」です。この小説自体は実は非常にシリアスな内容でして、たった一人の発狂した軍人が発した命令のために、世界が核によって破滅に向かうという恐怖の近未来SFです。しかし原作者も含めて脚本の執筆を始めたキューブリック監督は、この発想そのものが、現実の冷戦下での世界状況を痛烈に皮肉っているというアイロニーに気づきます。そこで、リアルを逆手にとって思い切りシニカルなコメディに仕立て上げました。映画製作当時は、冷戦を背景にしたキューバ危機や、ベトナム戦争が本格化していった緊迫した時代。そんな世相を反映してか、映画界でも、第3次世界大戦後の世界を描いた「渚にて」(1959年製作・スタンリー・クレーマー監督)や、軍事クーデター勃発のお話「五月の七日間」(1964年製作・ジョン・フランケンハイマー監督)、「博士の異常な愛情」と全く同じストーリーの「未知への飛行」(1964年製作・シドニー・ルメット監督)等々、核戦争の恐怖を描くものが多数作られています。しかしこの「博士の異常な愛情」は、大概が感傷的でアメリカ国民のヒロイズムを刺激しているにすぎない同テーマの他作品とは一線を画しております。最初から最後まで、核の恐怖に右往左往する利己的な政治家どもや頭のおかしい科学者の俗物振りと醜態を描ききることに執心します。こんな連中を指導者に頂いている多くの国民には、未来への希望なんてないでしょう。結局人間は地球破滅から逃れられないのだという恐ろしい現実も、隠すことなく堂々と提示する。この点がまさに、この作品を映画史に残る傑作たらしめているのですね。作品のテーマとカラーをバカらしいブラック・コメディと位置づける一方で、キューブリック監督は映像の細部の演出には一切手を抜きませんでした。たとえば、「攻撃R作戦」がどういう手順で実行に移されるのかといった描写。戦時下における軍部の作戦実行の実際を下敷きにしたというのも、うなづける演出です。あるいはコング少佐の爆撃機内での、乗組員の様子や作戦実行過程の描写。機長がその手順を読み上げ、乗組員がひとつひとつ確認していく描写も執拗なまでに詳細でした。また、843基地に篭城した狂気の将軍に率いられた守備隊と陸軍との戦闘シーンは、まるでドキュメンタリーのようなリアルさ。後年監督は、ベトナム戦争の市街戦を描いた「フル・メタル・ジャケット」を発表しますが、その作品でも戦闘シーンはすさまじくリアルで、なにより恐ろしかったですね。
もう一つ、この作品の中身を濃厚にしている要因たる、奇怪な登場人物。それを達者な役者がリアルに演じているために、現実への皮肉も痛烈になり、笑える以上に底知れない恐怖を観客に伝えるのですね。ピーター・セラーズがマンドレーク大佐、米大統領、ストレンジラヴ博士の3役を演じたことは有名ですが、当初は、スリム・ピッケンズが演じた血の気の多いコング少佐の役も彼が演じる予定であったとか。足の怪我を理由にコング少佐は辞退した彼ですが、セラーズの自伝によると、舌がもつれそうなほどひどいテキサスなまりのコング少佐役を彼が嫌っていたらしいのです。でも作品完成後、ピッケンズの強烈な演技を観たセラーズは、辞退したことを後悔したそうです。

2008/04/29 10:55

豆酢

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