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The Prestige
2006/アメリカ/128分
出演:ヒュー・ジャックマン クリスチャン・ベール スカーレット・ヨハンソン マイケル・ケイン デヴィッド・ボウイ 
監督:クリストファー・ノーラン

偏差値:64.0 レビューを書く

「自我」について哲学する映画 [97点] [参考:1]

このレビューはネタバレを含みます

僕は以前マジックを生で見て、直々に舞台に呼びだされて瞬間移動を目の前で目撃しました。魔法としか説明できないものでした。でも当然タネはあるんです。こういうタネを考えられる人間って凄い。人間の考えるアイデアは無限大と教えてくれたマジックに僕は傾倒しました。

これは本格的にマジックを描いた作品ですね。まだこの映画のマジックは今ほど高度じゃないですが、最初に僕が書いたようなマジックに対する畏敬の念を感じます。二人の奇術師の知恵比べをスリリングに描いて見ごたえがありました。本当に憎しみ合っていて、命の危険すら感じるくらいです。果たしてジャックマンとベイルはどちらが一枚上手か? 次々とトリックを開発していくところが興味深く見させてもらいました。

最後にはトリックと非トリックの対決があります。この部分はSFですけど、僕はSFに走ったのは悪くないと思います。そもそもこの映画はジャックマンの視点で描かれているので、ベイルがどんなトリックなのかは観客にはわからない。だからベイルのトリックのタネが映像として興味深く映るわけです。一方、ジャックマンは一人称視点なので彼のトリックのタネは観客もわかっています。タネがわかっていると面白くないからジャックマンにはトリックでは説明のできない、まさにタネも仕掛けもない非科学的な装置で表現することになったのではないでしょうか。トリックのタネは知るとつまらないですよね。映画もひとつのトリックですから、映画は華麗なトリックが堪能できるようによーくタネが練られているんです。

生き残ったのはベイルの方ですが、ベイルは人生をめちゃくちゃにされました。問題はその過程がどうだったか。どちらにとっても不幸な結末ですが、プレステージ、喝采を浴びたというところではジャックマンの勝ちなんでしょうね。

喝采を誰が浴びるかというのが要です。ジャックマンが酔いどれの替え玉と入れ替わって床の下に落ちるシーンでは、喝采は自分とは別人である替え玉が浴びていました。これが伏線。

人間複製マシンで、もう一人の自分を作ると、今度は替え玉も同じ自分なわけです。この場合、替え玉が喝采を浴びること、それはすなわち自分が喝采を浴びることと同じです。

ここで注意して見て欲しいのは、毎回自分が自殺して、コピーが生き残っていることです。いくらコピーが自分と全く同じ人間だとしても、自殺してコピーに自分の人生を引き継がせることができるものなのか? それがこの映画を哲学する醍醐味だと思います。

たしかに肉体も同じで記憶も全く同じなので、コピーが生き残っても他人にとってはそれが一人の人間としては問題はないわけです。しかし、自分という肉体それぞれに「自我」だけはあると思うんです。この主人公は自分の本物の肉体の命よりも自分とは異なる肉体の中にある「自分の名誉」を選んだ。これは自我を捨てたことになるのか、それともコピーそのものが全く同一の自我なのか。コピーは偽物の自分ではなくコピーも本物なのです。もし仮に僕も僕と同じ自分に会ったとしたら、それを他人として迎えいれるのか、同じ自分として会話ができるのか。気になる娘をコピーが抱いて自分は満足か。コピーを殺したくなるか。

僕は初めてこの映画を見たとき、これに衝撃を受けて、ずっと頭の中で考えて考えて忘れられませんでした。見終わった後こんなに引きずった映画も珍しいですね。自我について深く哲学できただけでも見たかいがありました。

この映画は見れば見るほど面白いですね。これぞクリストファー・ノーラン・マジック!

2010/08/25 03:12

シネマガ管理人

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