ちょっと違う切り口の映画ニュースをお届けするウェブマガジン


シリアスマン

A Serious Man
2009/アメリカ/フェイス・トゥ・フェイス/105分
出演:マイケル・スタールバーグ リチャード・カインド フレッド・メラメッド サリ・レニック アーロン・ウルフ ジェシカ・マクマヌス アダム・アーキン 

監督・脚本・プロデューサー:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン

偏差値:--.- レビューを書く 読者レビュー(0)

『ノーカントリー』の天才、コーエン兄弟が放つ
ストレンジで刺激的な面白さに満ちた悲喜劇

 驚くべき完成度と美学を誇る1984年の犯罪映画『ブラッド・シンプル』で鮮烈デビューを飾り、その後は無尽蔵にあふれ出る奇想と魔法のごとき演出力で、一作ごとに世界中を魅了してきたジョエル&イーサンのコーエン兄弟。2007年の『ノーカントリー』でアカデミー賞の作品賞、監督賞、脚色賞に輝き、名実共にアメリカ映画界の頂点に立った彼らは、今や巨匠と呼ぶにふさわしい存在となった。それに続いてブラッド・ピット、ジョージ・クルーニーらのビッグネームとのコラボレーションを楽しむかのように、軽やかに撮り上げたブラック・コメディ『バーン・アフター・リーディング』も記憶に新しい。
 そんな名うての兄弟監督の最新作は、『ハート・ロッカー』『アバター』『第9地区』などとともに第82回アカデミー賞の作品賞候補に名を連ねた話題作『シリアスマン』である。いつものコーエン兄弟作品がそうであるように、波瀾万丈のストーリーがあれよあれよと展開していくが、怒濤のサプライズが続出するこの映画は、ジャンル分けすら容易ではない“底知れない面白さ”が満ちあふれている。巨匠であると同時に、鬼才とも曲者とも称されるコーエン兄弟ならではの“ストレンジ”なテイストが全編を支配し、またしても観る者をかつてない刺激的な映像体験へと誘う。まだかまだかと首を長くして日本到着を待ったすべての映画ファンの期待を裏切ることなく、なおかつあらゆる予想を根こそぎ吹っ飛ばす破格の野心作の登場だ。

人間のおかしさが弾け、人生の不条理が暴走する
“世界一不幸な男”の想像を絶する運命とは?

 時は1967年。アメリカ中西部郊外に住むユダヤ人の大学教授ラリー・ゴプニックは、ひたすら平凡な人生を歩んできたマイホーム・パパだ。それぞれ秘密を抱えた息子ダニー、娘サラ、兄アーサーと暮らす彼は、妻ジュディスから突然別れ話を突きつけられ、ハンマーで脳天を殴られたようなショックを受ける。さらに落第点をつけた学生からワイロを渡され、隣人トラブルにも頭を悩ますラリーは、やがてモーテル暮らしを強いられ、こつこつ貯めた銀行預金も底をついてしまう。そんな相次ぐ不運を嘆くラリーは「なぜ自分だけがこんな悲惨な目に?」の答えを求めて、地元コミュニティーの指導者であるラビたちのもとを訪ねるのだが……。
 いわば、これは人生崩壊まっしぐらの一大パニックに陥った“世界一不幸な男”の運命をたどる2週間の物語。コーエン兄弟の作品では、しばしば犯罪に関わった人間の破滅が描かれるが、本作の主人公ラリーは何ひとつ悪さをしていない。むしろ善良で無害な小心者が、常識ではありえないほどの厄災に嵐に見舞われてしまう。そう、まさしくこの映画は常識外れ。悪い奴が懲らしめられる、いい人の努力が報われる、といった因果応報の“納得感”がどこにも見当たらないのだ!
 主人公の置かれた状況がドミノ倒し的に悪化していく物語の流れは、これまでのコーエン兄弟のほぼ全作品に共通し、今回はそこに『バートン・フィンク』『ノーカントリー』にも通じる不条理フレーバーを濃厚に加味。『ファーゴ』『ビッグ・リボウスキ』などで人間の悲哀や滑稽さをあぶり出してきた鋭い観察眼、つい癖になってしまうドライ&シュールなユーモア感覚も健在だ。おまけに観る者を呆然とさせるのは、冒頭と中盤に挿入された奇妙な小話である。“悪霊”と“歯”にまつわるそのふたつのエピソードは珠玉の短編映画のような出来ばえだが、どちらも明確なオチがなく、この映画に盛り込んだ真意すら不明。主人公ラリーがたどり着くラスト・シーンの唐突感も含め、大いに謎の残る異色作となった。にもかかわらず結果的に、この世の真理のようなものをさらりと大胆に浮き上がらせてみせるコーエン兄弟の懐の深さには、やはり脱帽せざるをえない。

コーエン兄弟が少年期のルーツをたどった
1967年の中西部、ユダヤ人コミュニティーの世界

 主要ロケ地となったミネソタ州ミネアポリスは、コーエン兄弟の出身地だ。つねに物語の背景となる“時代”と“場所”にこだわる彼らは、少年時代を過ごした1967年のミッドウエストに舞台を設定し、「たとえ長い間離れていようと逃れられない、自らのアイデンティティーの一部」(イーサン・コーエン)の映像化に取り組んだ。主人公とその周辺の人々が属するちょっと神秘的なユダヤ人社会も、兄弟にとっては馴染み深いコミュニティー。劇中に登場するラビのキャラクターは、彼らが子供の頃に知っていた宗教指導者を下敷きにしたという。あまりにも型破りな内容ゆえに“半自伝的”とまで言うのはいささか大げさだが、希代の天才兄弟のルーツの一端が覗けるようで興味は尽きない。
 監督、製作、脚本を兼任したコーエン兄弟をサポートするスタッフは、常連の切れ者たちで固められた。撮影監督は、コーエン兄弟作品4本を含む8作品でアカデミー賞にノミネートされた実績を持つロジャー・ディーキンス。『ブラッド・シンプル』以来のパートナーであるカーター・バーウェルが音楽を担当し、ジェファーソン・エアプレインのヒット曲「あなただけを」が挿入歌として強烈な印象を残す。そして「観客にあまり知られていない俳優を起用したかった」との兄弟の意向により、ニューヨークの演劇界を中心に活躍するマイケル・スタールバーグを主演に抜擢。脇役陣にも個性豊かな風貌の実力派がひしめき、“一寸先は闇”な人生の悲喜こもごもを絶妙のアンサンブルで体現している。

2月26日よりヒューマントラストシネマ渋谷他全国順次ロードショー